多くの人は視野が狭い、故に苦悩する。それはなぜか?

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コラム
前回の記事です。


特に現代人は、毎日毎日忙殺されています。それはもう、無駄なこと、知らないことは考えてる(構ってる)余裕がないくらいに。

社会的立場の維持や、家でのことや、交流間でのアレソレの処理や、それはもう人によっていろいろなことで時間を消費していくんでしょう。

あるいは、好きなことをして何かの目標に向かって突き進んで時間を使うとか。



多くの人は、そういう時間の使い方、人生の積み重ね方に疑問を抱くこともなく、違和感を覚えることもなく、ごくごく当たり前のことだとさえも思うはずです。それが「普通」だから。

「死」はどこから来るの?人はなぜ生きているの?アレはなぜ?コレはどうして?と、そんなふうに"自分の知らないもの""普段目を向けられないもの""自分のものではないもの"を考えることなんか、基本的になされないのでしょう。

ご飯を食べていくには不必要なことだから、です。



しかし人間は、自分の生きてきた環境の中のもののみが"全てである"と思い込むものでもあります。きょうだいがいることが当たり前の家庭と、ずっと一人っ子だった家庭とじゃ、感覚や価値観等に大きな違いが出る、という感じのもののことですね。

他人から助けてもらった記憶が無い人と、親やその他の人間からも優しくしてもらえた人でも、世の中への見方が大きく違いますね。



そういった自分の中と自分以外の世界の"ズレ"は、どんな人の誰にでも起こり得る部分でいて、外に露出して他人と比べることで初めてわかるようになる部分でもあります。

自分の中にしまっているだけでは、自分の視野しかないので違いを知りようもないですからね。



人間自分こそが正しいと"思いこみたい"ものでもありますね。自分を構成する信念や価値観を揺さぶられると、ひどく拒否反応を示す人がいますが、そういう人は自分を作り変えることができないので成長に至ることもありません。

自分の生きてきた中には存在しなかった、だから受け入れられない、信じられない、"受け入れたくない"、自分の中の既成概念が壊される感じがして怖い。

自分が長い年月をかけて積み重ねてきたものを、そう易々と突き崩せる人も中々いませんが、ソレが問題であるとなった場合に、柔軟に対処できない人は"そこで停滞する"ことになります。

防衛本能からの挙動ではあるからおかしいことではないのですが、「その場では自分の心を守れるがそのあとのことを考えられていない」ので、頑なすぎることでいいことは何もありませんね。



それはたとえば、自分は毒親の子どもだったんだと発覚した時に"それでも親のことが好きだから親を庇いたい(親を嫌いになれない)"となるケースのことでもあったりします。

その場合、子ども側は洗脳されきってしまっているのでその状態を異常なものである、早急に脱出するべきである、親より自分を優先して守るべきであると判断することも気づくこともできないわけですね。

しかも、早くやめなさいとアドバイスする周囲のことを敵認識することも、十分あり得るパターンです。



虐待などの「見えない問題」の解決をするにも、愛とはどういったものなのかを探求するにも、単純に近くの人を大切にしたいにしても"自分の世界以外の世界"を知る必要があるのですが、そもそもそういうものが必要であるという気づきにすら至らない人が多いわけで。

自分以外のものを見聞きして、ソレと自分の中のものをすり合わせて比較しないことには"違い"もわかるわけがないので、どのように対処していけばいいかもわかるわけないんですけどね。



早い話が「多くの人とコミュニケーションをして"いろんな世界"をたくさん知る」「自分の物差しと世間一般の物差しの、少なくともふたつは常に持っておくべき」ということなんですが。

自分はこう思うんだけど世間的にはこうだから、または世間はこうだけど自分はこう思う、という"ふたつの判断材料"が手元にあるのはかなり重要なことなんですよ。

世間的価値観(世間的物差し)だけじゃ自分自身の心は蔑ろにされてしまうし、自分の価値観(自分の物差し)だけじゃ社会的な世界とのズレが大きくなり過ぎて、強い生きづらさの中どう生きればいいのか分からなくなってつらくなる。



そういう"違い"を知らなければ、判断するための対象も生まれるわけが無いわけで。

他人という世界を知らない、自分の世界の中のものだけで生きていれば、他人のことなんかわかるわけも無いわけで。

そうなれば他者を慮ることもできない、自分の中のものだけがこの世の当たり前だから他人をそう決めつける、自分の知らないものは存在しないも同然だからそんなのは受け入れられない、つまり「心の狭い人」になるんですよね。



しかし過去に何かがあってすでに傷を抱えている、自分に余裕がないなどする場合の人は、先にそれを癒すべきでもあります。

なぜそんな闇を抱えることになってしまったのかと言えば、その人を取り巻く周囲の人たちもまた"何らかの被害者(歪みを他人にぶつける側)"だったりするわけで。

虐待も世代間連鎖をするし、アダルトチルドレンも連鎖をしますが、「自分が親などの相手から受けた傷から内面が歪んでしまい、それが異常だという自覚がないため他人に押し付ける」という構図になるんですね。



自分の中にないものは存在しない、という"思い込み"。これって、大変なことじゃないですか?

自分が経験したもの以外は知らない、わからないというだけのことなのに、それ以外のものはすべて無かったことにされるんですからね。

視野も狭い(わからずや)、心も狭い(他人を受け入れない)、挙句自分で自分の可能性を潰している(頑なになって他の世界を受け入れない、可能性を否定するため)ことになるのに……、非常に多くの人が、その問題点を知ってか知らずか「考えようともしていない」んですよねえ……。



残念なことです。



ですがソコに気づけたなら、これから開けていく可能性はデカいですよ。
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