その店に初めて入ったのは、30年程前のことです。
高校時代のクラスメートの女子が、勤めていた職場の先輩と飲んでいるところに出くわしました。その先輩は、とても落ち着いていて、清潔感があり、何といっても大人でした。私には、既に妻がいたので、彼女とどうこうという立場にはありませんでした。
彼女は真面目ゆえの悩みを抱えていました。その悩みは男性を信用できないというものでした。ところが、私には気を許し、諸々、相談を受けました。
その後も、友人と、その先輩と一緒に何度か食事をしました。先輩は、本当に悩んでいる様子でした。それで、私の知人の中で誰かを紹介して欲しいという話になりました。ありがちな話です。
数日後、彼女たちが指定する寿司屋に可愛がっていた後輩を連れていきました。彼は、有名大学の出身者で、当時、彼女を作りたいと思っていることを私は知っていました。
そのときに入ったのが、その思い出の店なのです。
彼と彼女はダメでした。話が合わないのです。そんなことは、どうでも良いのです。
私は、その寿司屋が気に入り、翌日にも、きちんと挨拶をしたくて伺いました。
それから、大将との付き合いが始まりました。週に5回、店に行ったこともありました。大将は、けっこう意固地な方で、気にいらない客を帰すような気質でした。最近では、そういう店主を見掛けませんが、そのころは、そういう店もありました。ちなみに、その寿司屋の締め鯖は、私がこれまでに食べたものの中でダントツです。
ある日、私が注文をしても、大将が食べ物を出してくれないときがありました。私は、何か気に障ることをしたのかと思いましたが、大将が少し待てというので、黙ってビールを飲みながら待っていました。そのうちに客がはけ、私は恐る恐る、大将に何か気を悪くしたのかと尋ねました。
大将は笑っています。私と一緒に飲みに出掛けたかった、それだけだと言うのです。
大将は、他にも飲食店があるのに、この店しか知らないのでは社会人としてダメだと私に言いました。当時の私には、なかなかのショッキングなセリフでした。
そして居酒屋へ連れていかれました。それが、今の馴染みの居酒屋です。
今年で7年になると思いますが、今年も彼が亡くなった季節を迎えました。
まだ、私の心に、彼は生きているのです。