「嫌いな人の幸せを願えばいい」
その言葉に、納得できなかった夜がある。
もしそれで解決するなら、こんなに苦しむ人はいないはずだと思った。
「嫌いな人を人生から消す方法」
そんなタイトルの動画が、YouTubeにはいくらでもある。
内容はだいたい同じだ。
「相手の幸せを形だけでも祈りなさい。波長が合わなくなり、自然と離れていく」
この手の話に、私はずっと違和感があった。
否定したいわけではない。
実際、それで楽になる人がいるのも分かる。
ただ、少なくとも自分にはしっくりこなかった。
ある夜、AIを相手にこの話をぶつけてみた。
「相手の幸せを願うなんて、定義のない言葉で脳を麻痺させているだけじゃないか。現実に嫌がらせが続いている中で、それに何の意味がある?」
AIは落ち着いた調子で答えた。
「脳の支配権を取り戻すことが重要です」
よくできた答えだと思う。
そして、どこかで何度も聞いたことがある答えでもある。
誤解のないように言えば、精神論が機能する人もいるのだと思う。
ただ、自分のケースでは違った。
理由は単純で、現実が何も変わらないからだ。
「心を強くする」という方向は、美しい。
だが、それを成立させる難易度は高い。
だから人は、繰り返し同じ言葉に触れる。
一時的に痛みが和らぐからだ。
ただ、その効果が切れた後も、状況はそのまま残る。
議論の途中で、私は一つの例を出した。
「もし6億円あったら、嫌な人間は“ただの背景”になるはずだ。いつでも辞められるから」
極端な話に聞こえるかもしれない。
だが、本質はそこにあると思っている。
人間関係のストレスは、「相手の性質」だけで生まれるわけではない。
そこから動けない状態によって、増幅される。
環境を変えましょう、という言葉は正しい。
ただ、その前提になる“移動手段”については、あまり語られない。
お金でもいいし、スキルでもいい。
どこへでも行けるだけの余力。
それがない状態で「考え方を変えましょう」と言われると、
どうしても現実とのズレが生まれる。
やり取りの中で、AIも少しだけトーンを変えた。
「精神論が求められる背景には、現実的な選択肢の少なさがあるのかもしれません」
完全に意見が一致したわけではない。
ただ、前提が少し揃った感覚はあった。
私が欲しかったのは、心を麻痺させる言葉ではなかった。
「いつでも離れられる」という感覚。
それを裏付ける、現実的な手段。
だから今は、ただ書いている。
これが遠回りに見えても、
自分にとっての“移動手段”になると考えているからだ。
誰かを変えるよりも、
自分が動ける状態を作る。
私はそちらを選ぶ。
耐え続けることは、強さではない。
離れてもいいと思えたとき、はじめて人は自由になる。