一度目の休職⑦

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しわ寄せの“しわ”は弱者に集まる

朝礼で職務放棄を宣言した日から、上司Aの新人に対する態度は明らかに変化した。
問題が起こっても「上司Bに言って」と、あからさまに右から左に受け流す姿は、「言ったことに従うように対応する」と言った上司Bに「できるもんならやってみろ」と当てつけているように感じた。

上司Bの主な仕事は、作業の進捗管理だった。
作業の腕を買われてのし上がった上司Aとは違い、作業に精通していない上司Bにとって、新人の技術不足によって引き起こされるトラブルに対応するのは困難だった。

当初はトラブルが発生すると、上司Aに指示を仰ぎ、その指示に従って新人と共に作業をしていたが、そんな非効率な対応を、毎日、毎日続けられるはずもなかった。
上司Bが新人の作業をフォローするという流れは、たった数日間で自然消滅してしまう。

新人の作業がどんなに遅れていても納期は必ずやってくる。
納期遅れを回避するために、上司Bのとった選択は非常に安易なものだった。

新人にやらせる予定の作業が、このままでは間に合わないと判断した瞬間に、他の従業員に突然仕事を振る。
ただ、それだけだった。

この方法の一番の問題点は、作業を円滑に進めている人ほど、仕事を振られるターゲットにされやすいという事だった。
職場の中でもベテランの領域に達していた私は、高い頻度でその標的になった。
私は数ヶ月の時を経て、また新人のお世話を間接的にさせられる事になる。

間に合わないと思った瞬間に振られる仕事は、納期的に逼迫している物がほとんどだ。
前日、円滑に回ると思って帰宅して、翌日出勤すると、失敗が許されないような修羅場の予定が組まれている。

組織で働く以上、新人の至らない部分をベテランが補うのは致し方ないことだろう。
しかし、その相手が仕事に真摯に取り組んでおらず、上司や先輩に反抗的な態度を取り続けていると表いる人間であれば、多くの人は、どんな風に感じるだろうか。
私は、それを肯定的に受け取れるほど、成熟もしていなければ、心の広い人間でも無かった。

毎日、毎日、綱渡りの日々が続いた。
今日、造り始めて、今日終わらないといけない仕事を、やっとの思いで終わらせて、「これで次の仕事に取り掛かれる」と思いきや、翌日出勤すると、また別の急ぎの仕事が次の予定に組み込まれている。
例えるならば、息継ぎをしようと顔を上げた瞬間に、頭を水の中に押し付けられてるようなものだ。
苦しくて仕方が無かった。

しかし、それを苦しいとは言ってはいけない雰囲気が醸成されていた。
「順調にいけば間に合うでしょ?」
「余計な残業はできないって言われてるから」
「今日できないと納期に間に合わないもんで」
自分に被害が及ばないように、外堀はしっかりと埋められていた。

失敗すれば責められる。
成功すれば追い込まれる。
毎日続くプレッシャーに押しつぶされて、ついに私の心は壊れてしまった。
こんなにひどい扱いを受けるのは、自分に問題があるのではないか?
自分が嫌われているから、辞めさせてくて、こんな扱いをするのではないか?
私よりも、新人の方が評価が高いのではないか?
自分を責める以外の方法で、起こっている現象の辻褄を合わせる方法が見つからなかった。

視野が狭まり、思考が止まり、世界が小さくなった。
そんな、ちっぽけな世界で生き続けていくことに絶望した。
私は生まれて初めて、“死にたい”と思った。

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