親戚を納骨して気づいた事、人の最後は〇〇である

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親戚を納骨して気づいた事、人の最後は〇〇である



これは人それぞれ


価値観があって


考え方は


100人いたら




きっと100人の答えがあるでしょう




その中の1人の




私の意見を記したいと思います





今日は実は




嫁の祖母の納骨に参列しました



人の終わりは考えさせられますね




それが



残る人に対する



最後の故人の役割だと私は考えています





自分が亡くなる時は




「こうやって人は死ぬんだよ」と



子供に伝える事ができれば




親としての最後の務めかなと考えています。



それを




今回学びました



また




私の死生観については





「質量保存の法則」



と考えています



ご存じでしょうか?



これは



物質に変化が訪れたとしても



その存在は変わらないという考え方です




例えていうなら




地球上に有る物全ては



形が変化しても



地球と言う存在と質量には変化はないという事です





もう少し砕けて説明しますと




氷が水になり、水が水蒸気となっても



水分という存在は変わらないという事です



私は人間の魂もそれに通じるのではないかと




考えています




生まれ、育ち、死ぬ


でも



その人の存在証明は




消える事はない



地球で生まれ、育ち、死ぬ




地球と言う揺り篭ですね





ここで生まれて




ここに帰る





地球に生まれて



地球に帰る






魂は地球に帰りました




そう考えています


また




地球は太陽系に存在し、





大銀河に存在するので




この銀河系の星の一つ



宇宙に帰ったとも考えています





亡くなった人を



星に例える事ありますよね



「あの星は亡くなった、おばあさんだよ」




こういうイメージです




そうですね



私は最後は星に帰ると考えています。




親戚を納骨して気づいた事、




人の最後は星々である




あなたはどう思いますか?





死生観を考える事は




魂の浄化、



生の喜びでもあります。





ぜひ、一度深く考える事をオススメします






その中で




それで



モヤモヤしてしまったら一度、占いへ!!!





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