敏感力、はないのに。鈍感力、はある。

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敏感でいること、常に何かを気にしていることは、非常に疲れること。
だから敢えて気にしないようにする鈍感力が大切。
言ってることは分かる、でも、分かるようでいて、とても切ない。

そこには2つの切なさがある。

ひとつめ。
「敏感でいること」は非常に疲れるしストレスも溜まりやすい、
人によっては少しの刺激で、量的にも大きなストレスに長い間苦しむこともある。
つまり、燃費が悪い。
だから、自分の心身の健康を守るためにも、敢えて気にし過ぎない、考え過ぎないように努める。
…とまぁ、こうなる「状況」がまず切ない。

敏感「だから」鈍感であろうとする
って、敏感な人からしたら、酷く切ない言い回しだ。
敏感「だけど」鈍感であろうとする
そっちの表記の方がずっとずっと正しい。
でも、その表記になったところで、「敏感さ」から「鈍感さ」へのシフトチェンジは要求されるわけで、
言わば違う人間として生きるように頑張ってみようと言われているようなもの。
そう考えてしまうのは、強度HSPである私だけなのでしょうか。

「敏感」だから「敏感」らしく生きていける、
そんな環境が理想じゃないのか?
「敏感」だからそれを諦めなければいけないのか?

そもそも、全ての種の生物に神経系が過敏なものとそうでないものが存在していることはハッキリしていて、
過敏に生まれたものが周囲の敵を察知してその種は生き残っていけている。
持ちつ持たれつということを、その生物たちは生まれながらに知っている。

人間だけが、それができない。
私はそれが切ない。

「鈍感力」があった方がずっと心身ともに健康に生きていける、
仕事では気にし過ぎて考え過ぎても良くない事の方が多い、
分かるよ。言ってることは分かる。

でも、だから「違う方になろうとする」なんて悲しいんだよ。
「違う人間として生きたい」なんて本当は誰も思っていない。
「自分は自分としてありのまま生きていけたら良い」と思っていても、
なぜかどこかの誰かが「そんな甘いことを言うな」と囁く。
時には心の中の自分が、世の中という漠然としたものが、そう責める。

「敏感」だから「鈍感」であろうとする、
それがオススメされる時代背景に、私は強烈な切なさを覚える。
「自分らしさ」なんて社会では不要だ、って言われているようで。
そして、「みんな何かしら我慢しているんだ」という同調圧力を感じるから。
「みんな何かしら我慢している」なら、みんながその我慢を解き放つべく尽力したら良いじゃないか。
なぜ他の人にも、その我慢している「みんな」への仲間入りを求めるの?
なぜ、「お前も一緒に不幸になれ」と言うの?
「一緒に幸せになるために努力しよう」じゃなくて?

私は、「敏感」すぎるなら「鈍感」であろうと努力したほうがいいよ、
社会で生きていく上では「鈍感力」大切だよ、
という言葉が平然と飛び交う世の中が怖い。

だから、切ない。これが、ひとつめの切なさ。

ふたつめ。
「敏感」であることはそう簡単に「鈍感」に変われるものじゃない。
少なくとも、「鈍感力大切だよ」と言葉にできるような人には想像できないくらいの難しさがあると思ってもらいたい。

世界は刺激であふれている。
人の視線、声色、息遣い、音、動き、表情、震え、体温、脈拍。
人じゃなくとも、光、音、水、匂い、空気、温度。
そんな刺激を、全てボウルに受け止め、全身全霊で存在しているのがHSP。
他の人にとって「当たり前のこと」でも、時にHSPにとっては「刺激」。
それを真っ向から受け止め、受け入れて、それに応じて体や感情が変化する。
本当に、全身全霊で、存在している。

その生き方をしないなんて、私にはできない。

「敏感」であることを、努力次第で変われると思っているのなら。
そんなことは難しすぎて気が遠くなると叫んでやりたい。
そう簡単に、人間は神経を操ったりできない。

「敏感」であることが変わるのを、少し簡単に見積もられすぎている。
そのことが本当に切ない。

どれだけの苦しみと共に生きてきたか、それを知ったなら、
私はその相手に「鈍感になろう」なんて絶対に言えない。
「鈍感になれたらどれだけ楽か」
「でもそうなれない自分を痛いほど知っている」
そう叫びたい気持ちが分かるから。

HSPという言葉が流行り出して、途端にひとり歩きしだし、
芸能人がHSPについて言及している機会も目にすることは少なくなくなった。

認知度が上がったことはとても喜ばしいこと。
でもなぜか、「理解」が深まるのではなく、「軽視」され始めたように感じる。
「みんな何かしらそういう一面は持っている」と言う言葉で締めくくられることさえある。

HSPはそういう問題じゃない。
「みんなそう」じゃない。
「みんなそう」と言えるあなたは絶対にHSPじゃない。安心して欲しい。

生まれつき敏感な脳の神経システムを持って生まれ、本人の意思とは関係なく感受性が高い、生来の特質。それがHSC/HSP。
生まれつきの神経系をそう簡単に変えることなど、できるはずがない。

それが「努力次第でできる」ように言われていることが切ない。
そう、「鈍感力」という言葉は、「鈍感になる能力」と聞こえる。
それができなかったら努力不足のよう。
まるで生まれなおすかのような作業なのに、なぜそこまで「できる」と信じられるのか、私には理解できない。

これが、ふたつめの切なさ。



敏感である皆さん。繊細さんのあなた。HSPの方。
あなたはあなたとして、生きていいのです。
あなたらしさを大切にしていけるように、一緒に努力しましょう。
あなただけの感じ方。あなただけの感受性。
それもひっくるめたあなたらしさと共に生きていくことを、私なら心から応援できる。
一緒に幸せになりましょう。
このブログが、少しでも多くの敏感で繊細な方の、心に届くことを願って。


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