「ニーハオ」と言われるけど、それって差別?

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はよにちばんは!Nijiです。
アメリカやヨーロッパなど、白人がメインの地域に渡航したことがある人は、見知らぬ人から「ニーハオ」(中国語で「こんにちは」)と言われた経験が1回はあるのではないでしょうか。オランダに3年間住んでいた私もあります。最近は、欧米だけでなく「アフリカでもよく中国人と間違えられる」という声も聞きます。
「ニーハオ」と言われることが人種差別をされたということになるのか否かは、長い間、海外に関わりのある日本人の間で熱い論争が起こっているように思えます。ざっくりと分けると、「ニヤニヤしながら、からかうようなトーンで"ニーハオ"と言われたので差別だ!」という主張をする人と、「ただ間違えただけだから差別ではない。」と主張する人がいるみたいです。

私の主張

この主張は、どちらも問題があります。
まず、「ニヤニヤしながら、からかうようなトーンで"ニーハオ"と言われたので差別だ!」という主張の裏返しはというと、「からかうようなトーンで言わなければ差別ではない」「真剣なトーンで、ただ挨拶をしたいだけであれば差別ではない」であると分析しました。ここで重要なのが、からかっていなければ「ニーハオ」と言っても問題ないと思っていること。からかう目的はなくても、わざわざ中国語が公用語でない国やシチュエーションで、中国語で話しかけてくるということ自体が問題であるということを見逃している人が多い印象です。ほとんどの場合、見た目が判断材料となっていて、典型的な日本人の見た目=中国人と思われている場合が多いです。ここで問題なのは、日本人なのに中国人に間違えられることではなく、見た目だけを判断材料に、赤の他人の国籍や話す言語を予測すること。日本人や中国人といった、いわゆる「東アジア系のルックス」をしている人が全員中国人であるということは勿論ありません。モンゴル、ロシア、アメリカ、イギリス、韓国、インドなどの国籍の人々が、典型的な日本人や中国人のような見た目をしている場合もあります。私自身、3年間のオランダ生活でたくさんのアジア系オランダ人を見てきました。

少数派にも寄り添える人間になりたい

「アジア系アメリカ人やアジア系オランダ人なんて、かなり少数派でしょ。中国人は人口が多いんだから、中国人に間違えたって仕方がない。それに、そんなに細かいところまで配慮していたらきりがない。」と思う方は、一度考えてみてほしいと思います。ミスジャパンの椎野カロリーナさんのように、見た目は外国人のようであるが、生まれも育ちも国籍もアイデンティティーも、日本だという人々のことを例に考えてみましょう。このような人々は、見た目は外国人のようでも、アイデンティティーは日本にあるという方が多いです。多くの外国系日本人から「日本生まれ育ちなのに、見た目がちょっと違うだけで、よそ者扱いをされるので疎外感を感じる」という声を聞いたことがあります。中国系アメリカ人や韓国系カナダ人、ベトナム系イギリス人に関しても同じことが言えます。見た目や人種という変えられない要因で、判断されるのはひどいですね。私は、そのようなマイノリティーのことも配慮して日々の生活を送っていきたいし、皆さんにもそうしてほしいと思います。

意図せぬ差別とデスモンド教授による「人種差別についての5つの誤解」

用もないのに、ただこちらの反応を見たいだけで、ニヤニヤしながら、からかうような感じで「ニーハオ」と言われるケースもあれば、ただ挨拶をするだけ、「俺は中国語で挨拶ができる」という友好的な気持ちを持って言ってくる人もいます。後者は、悪意がないんだから別にいいだろうと言われることもありますが、これも差別の一種です。"unintended discrimination(意図せぬ差別)"や"unintended racism(意図せぬ人種差別)"と調べると、たくさんの結果がヒットすると思います。米・プリンストン大学のマシュー・デスモンド教授によって書かれた"What is racial domination?"という論文を、大学時代に社会学の授業で読み、感銘を受けました。そこに記されている"Five fallacies about racism(人種差別についての5つの誤解)"の1つに、この「意図せぬ差別」について書かれています。日本人の間だけでなく、「意図していなければ差別ではない」という誤解は、世界中でよくあることなのです。意図していなくても、相手を傷つけることはあるし、社会に悪い影響を与えることだってある。そして、「意図していなければ問題ないじゃん」という考え方は、差別する側の人間の視点でしかものごとを見られていないと気づくことが大切だと思います。

どんなシチュエーションなら「ニーハオ」は許容されるべき?

では、逆に見知らぬ人に「ニーハオ」と言っても差別ではないというシチュエーションはどんな場合でしょうか。私は、「中国語が公用語の国や地域、シチュエーション」そして「話しかけられる側が中国語を理解すると、なんらかの方法で分かった場合」だと考えます。まず前者において、中国で中国語で話しかけられるのは当たり前です。中国でなくても、中国に関するイベントや中国語レッスンの教室など、中国語がメインの言語になっているシチュエーションでは、見知らぬ人にも中国語で話しかけるのが一般的で、問題ないといえるでしょう。

反中なのでは決してない

私が「オランダで見知らぬ人にニーハオと言われた。差別だ。」という主張をすると、私は中国嫌いなのだという憶測をする人が一定数います。ですが、私は反中の右翼では決してありません。「中国人なんかに間違えられるなんて最悪だ」という理由で「ニーハオと言われるのは差別だ」と主張している日本人は確かにいますが、私含め、全員がそうではありません。「見たままの人種だけで、国籍や話す言語を勝手に赤の他人に決められる」ということに嫌気が刺しているのであって、「日本人なのに、中国人に間違えられたから」ではありません。そういうわけで、韓国人に間違えられてもベトナム人に間違えられても、私が思うことは同じです。

最後に

今までずっと書いてみたかったことについて、今回は書いてみました。この話題は、意見が分かれやすいものであり、日本人の間でもSNSなどで言い争いになってしまうことはよくあるようです。オランダという白人社会に住んでいた日本人して、思うことがあったので、論理的思考と論文、そして大学の社会学の授業を基に意見を明らかにしてみました。もしこれを読んで、新しい点に気づかされたり、学んだものがあれば幸いです。皆さんの意見も気になるので、是非コメントをお寄せください。フォローといいねで応援してくださると励みになりますのでよろしくお願いします!
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