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コラム

からだの悲鳴


2020年1月末、COVIT-19流行に、
自分自身を支えきれなくなって、
パートを辞めました>︿<
それから家に引きこもってます

表向きはそんなとこ

実際、1回目の緊急事態宣言が発令されたとき、
仕事は休めなくて、
電車に乗るのもなんだかなぁ、と思って、
自転車通勤を始めました。
ついでに、エレベーターに乗ることもやめました。
(これはもう1年以上続いています)

健康的でいいね

と言われましたが、
もともと体力のないわたしには、ツラい…

大阪市内は、上町台地を除き、
大阪平野で、坂道がないのです。
しかし、そこは水の都!
橋には必ず坂があります。

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片道40分のママチャリは苦痛でしかなくて
電動アシスト自転車を給付金で買いました。
でも、片道35分にしか短縮できず…
使う体力は半減しましたけど。
大阪の真ん中は、信号だらけで、
漕いでいるより止まっている方が多かったかも(笑)

ということで、まずからだへのストレスは
溜まっていく一方でした。

ランチ会は女子会

週に3日のパートタイムだったんですけど、
仕事内容は、今まで自分が得意としてきたこと。

パソコン入力
事務作業
電話応対(受電・架電とも)

ざっくり、コンピューターを使う事務ってとこ。

同僚にも恵まれた。
12人
昼休憩には、お弁当(わたしはコンビニ弁当)持ち寄って
1時間のミニ女子会!

どんなことも話せた
どんなことも聴いた
笑った
泣いた

傷つけ合うことなど微塵もなかった

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2020年夏

2人が辞めた
きっとコロナのせい

黙食が始まった
昼休みが分散になった
一人で食べることが多くなった

2020年12月

1年の契約延長をした
その時は。
これが最後の契約延長だと言われた。

あと1年

猶予をもらったと考えればいい
次にすることを1年かけてじっくりと考えられる

終わりを区切られてのモチベーションは
そうは続かなかった

一緒に入った同期も同じ

しんどいな、と思った

理由はそれだけじゃなかった

こころの悲鳴

わたし、なぜかどこに行っても、どこに所属しても
必ずと言っていいくらい
いじめ
受けてました。

子どもの時から、
大人になっても、

ひとと関われば、必ず出てくる問題

群れには必ず標的がいる
その標的になりやすいタイプだったんですね。

いわゆるパワハラですよね

なぜ?
なぜいつもわたしが?

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これ、あとでわかったんですが
HSPだったから、
というのもあるかもしれません

勝手に敏感に感じ取ってしまっていたところがありました
HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)
顔を見ただけで、声を聴いただけで、
その人の考えや今日の調子など
わかっちゃって先に気を回す。

周りで聞こえる音が
全部わたしを責めているように聞こえる

コロナ対応で
手指消毒・マスク着用・アクリル板・換気
と空気がピリピリするのが、自分の感覚に同化してしまう

それがどういうことになるかというと、

上司の機嫌がわかってしまう

ピりついてるな!
もしかして、わたし何か悪いことした?
ミスした?
また注意される!!
どうしよう…どうしよう…
怖い…怖い…
苦しい…

実際に周りからは
1年くらいパワハラ受けてたように見えてたそうですが

自分自身でも、
パワハラだ!
って思えるようなことが増えてきて、
メモを付けるとか、パワハラ相談窓口を調べるとか
そういうところまでいってたんですよね

これって、こころの悲鳴です

それでも1年がんばろうとしていたわたし

自分に正直に生きよう

からだの悲鳴とこころの悲鳴に気づけたわたしは

自分のこころに正直に

自分の体に正直に

会社を辞めることにしました。

同期もやめました。


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それからのわたしは、いままでのわたしを脱ぎ去って
新しい未来へと歩み出すことができました。

自分と向き合い

自分を知る

まずはそこから

人生後半の後半だけど、
まだまだこれから

自分にできる何かがきっとある


わたしはここからはじまる




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