ケアラーやる前より、「やらなきゃ」が増えている?

ケアラーやる前より、「やらなきゃ」が増えている?

記事
コラム
家族を支える・ケアするって、
言うても「家族内・家庭内」の話じゃないですか。

なのになぜか、この役割を背負う前より
「私がやらなきゃ」が増えていきます。

仕事で、地域で、友人間で。

家族に対して
「私がやらなければ生活が回らないから」
とひっ迫した思いでタスクをこなしてきたことが
いつの間にか

「こうすればいいのに」
「自分ならこうできる」

が思い付くようになっている。
そして自分の役割として引き受けていく。

ケアラーだから、と思ってた忙しさ。
実はケアだけではないのかも。

◇◆◇

出来ることが増えているのは、いいことなんです。
成長だし、鍛錬の結果だし、
自分に自信つくし、人から頼りにされるし。

大人になるってこういうことなのか、とか
考えたりもしました。

ある時、赤ん坊のころから私を知ってる人に言われたんです。

「結婚して本当に丸くなったわよね。あなた、結婚して正解よ」

て。
まあ間違いだったと言われるよりはずっといいし、
顔も口調も明らかに褒めてくれてたのでその時は良かったんです。

でも、家庭以外の仕事や友人関係にまで
『ケアラーの自分』が顔を出すようになって、
少しずつ違和感が芽生えました。

おばちゃんが言ってた「丸くなった」っていうのは
他人から見たら角が無くなった、と見えるかもしれないけど、
自分にとっては「らしさが消えた」ってことなのか?と。

角が取れて衝突が減って、理解もされやすくなった。
でもそれは「丸さを保った私」に対する評価で、
本当の私は実は全然丸くなってなんてなかった。

ケアするために角を丸めて縮こまってたんです。

それがもしかしたら、
「丸くなったわね」と言われて感じた違和感の正体なのかも。

◇◆◇

やらなきゃいけないことが山ほどある中で
必死でこなしているうちに出来ることも増えて。

そしていつの間にか
「出来ること」が「やらなきゃいけないこと」に変わって。
誰かのために動くことが増えていって。

そんな変化を知っている知人からは
「変わったね」
「すごいね」
「大人だね」
なんて言われるようになって。

でもそれ、本当に自分が望んだことでしょうか。
もちろん、努力の副産物だから喜んでいい。
けれど気をつけないと、
「人から評価される自分であり続ける」ことが
自分の存在理由になってしまいます。

それこそ本当に
自分が心から願ったことでしょうか。
第三者から評価されることで、
自分の家族は回復するんでしょうか。
自分は安心して暮らしていけるようになるんでしょうか。

多分、ちょっとズレてますよね、きっと。




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