「私のせいかもしれない」が止まらないあなたへ|罪悪感の再解釈

「私のせいかもしれない」が止まらないあなたへ|罪悪感の再解釈

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コラム

1.罪悪感って、なに?


罪悪感感じること、ありますよね。
小さなこともあれば、大きな事もあります。
悪いことをしようと思ったわけじゃないのに、「自分は悪いことをしてしまった」という思いでいっぱいになります。

罪悪感とは、どういう仕組みで生まれるのでしょう。
それは「自分は罪を犯したのだ」と認識したときです。
では、何に対する「罪」なのでしょうか。法律的な罪ではないのは確かです。

それは「自分はこれが正しい」と思っている基準やルールに反したときに生まれます。

たとえば「家族のことを一番に考えて、いつも優しく接しよう」という信条を持って生きている人が、疲労やストレス、余裕のなさの中で、つい家族に暴言を吐いてしまった、とします。
第三者から見れば「仕方がないよ、家族ならわかってくれるよ」と思うかもしれません。でも言った本人は「なんてことをしてしまったのだろう」と、自分を「罪を犯した人間」と思い、罪悪感を感じるでしょう。

罪悪感がわく、ということは、自分で自分を罰するルール(信条、価値観)があり、それが働いているから、と言えます。

2.ケアする中で感じる罪悪感


では、私たちケアラーはどうでしょうか。

私たちは多かれ少なかれ、「家族の病気が少しでも良くなって欲しい」という気持ちで毎日過ごしています。
だから私たちのルール・信条は「家族の病気が回復するために出来ることをやる」みたいな感じでしょう。

とはいえ、私たちが頑張ったからといってすぐに回復するものでもなければ、やったことの効果がすぐ目に見える訳でもありません。

『家族の病気が思うように回復しない』という現実は、このルール・信条を通じてみた時に「私(ケアラー)の頑張りが足らないから回復しない」、更には「私のせいで病気が回復しないのでは」といった結論を導き出すことがあります。

頑張って家族をケアしている結果が、罪悪感を生み出してしまうのです。

3.そこにあるのは、本当に罪悪感?


ですが、よく考えてみればここで罪悪感にさいなまれるのもおかしな話なのです。
私たち家族は、一緒に生活しているから、一番近くでサポートできる立場ではあります。
でもそれと、「病気が治る」ことはイコールではありませんよね。

病気を治療するのは主治医です。
治療を受けて薬を飲んで療養に励むのは、本人です。
家族・ケアラーはその外側でお手伝いをする立場です。
それはきっと誰もが分かっていることですよね。

なのに「家族の病気が良くならないのは自分のせいだ」と、罪悪感に紐づけてしまうのは何故でしょう。
それは、あなたの罪悪感を生み出す土台になっている「ルール・価値観」の捉え方に理由があります。

では、もし。
罪悪感を「消すべき感情」ではなく、あなたの価値観や願いを映しているサインだとしたら。
そこから、何が見えてくるでしょうか。


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