気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その99~

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今日も粘り強くお読みくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
今回もぶっ飛ぶかも知れませんが、何卒宜しくお願い致します。
今日は二桁最後の日、明日はとうとう100回の節目となります。
このブログ上で一貫して、とにかく呼吸は意識していじくり回すものでは無いということを申し上げて参りました。
無理に伸ばそうとしたり、数を数えたり、止めたり我慢したり、お腹に力を入れたり、他人のペースに合わせたり、そのようなことよりも、元々そういった努力の及ばない何かに支えられている事実に目覚める方が、より人生を活き活きと軽やかに歩んで行けそうに感じます。
あまり詳しくは知らないことで恐縮なのですが、最近 " 風の時代 " というのに入ったそうですね。そこで言われているこれからの時代の特徴とは、正に自然な呼吸が教え感じさせてくれることそのもののように思えます。
本当に納得出来て腑に落ちる、自分の心身や魂が喜ぶ呼吸に出会い目覚めることに、何の遠慮も躊躇いも必要無い時代が来たということでしょう。
ラジオ体操の元々の発祥・原点は性欲を抑制する為に開発された体操で、ある意味そのような我慢の奨励を毎朝やる時代は終わりを告げたと言えるのかも知れません。やってますけどね、いろんなとこで(笑)
そしてこれも一貫してお伝えしようとしていることですが、本当の意味での生きる為のルールとは、外部から得る情報では無く、根源的な生命力と自由を掘り当てた時に、そこにしっかりと刻み込まれた本能であるということ。
本当の自由を得れば、他に対して過干渉である必要は無くなる。
ここからは今日も皆さんご一緒にイメージして頂けると嬉しいのですが。
生命は水の中で生まれたとして、そこから気の遠くなるような時を経て陸に上がった内の一種族が人間です。
きっと、長い間水中で一身に受けていた水圧からの解放感と、浮力を失ったことで感じる重さ、それらの新鮮さや衝撃は月日がすっかり慣らしてしまっているにしても、その両者の長所短所をしっかりと未だに受け継いでいるのも又事実のように感じます。
他の陸上動物達の内情に関しては伺い知る術を僕は全く持ち合わせませんが、少なくとも人間は、空気の中での生き方身の処し方その要諦を、水中時代のそれのようには未だ掴めていないのだと感じさせられます。
水を信じられないと浮かぶことが出来ないように、空気を全く信用出来ていないのが現状です。空気の中を水中のように活動出来るようになるまでの、長い長い道程のまだまだほんの入り口に立つ、レッスン初心者が今の人類なのかも知れません。プールに浮かんでリラックスしたり、水中歩行で膝関節のケアをしたりとかは、それを裏付け物語る行為の最たるものと言えそうです。
このように物事を追って見ると、預ければ受け容れてもらえるところを自力で踏ん張って頑張ろうとついついしてしまうのも何だか頷けるような気がします。
ここまで述べましたように、空気の細やかな粒子を身を全て預けるべき対象としては信じられない現状に於いて、やはり鍵となり頼りになるのは地面・大地しかありません。
そこで今日は改めて、自分と地の接点から見直してみます。
立っているならば足の裏を、椅子に座ったり胡坐や結跏趺坐・半跏趺坐なら坐骨を、正座しているならば脛から足の甲に掛けて、寝転んでいるなら背中や体側といった個所をよく感じて、その部位を直接支えてくれている物の存在もしっかりと感じてみます。
床、畳、椅子、等々。
体は今、それらに支えられているとも言えますし、それは違うとも言えるのです。
何故そうなのかと言いますと、今挙げた、床や畳や椅子、それらを支えている物がきっとその下方に更に存在するからです。
視点を細かく細かく刻めば、例えば二階でやっている人はその下に一階があります。
そしてそもそもその建物自体の基礎があって、その基礎を支えているのは深い地層です。
そして、その地層の深さは一口に深いとは言っても考古学的に見ると序の口で、更に地球という一個の天体として見た場合、地殻やマントルといった概念が出て来ます。
人間が地面に本当の意味でその存在を預けるとは、このような支えの事実、その構図をリアルに感じることとなります。
そして、支えはここでは終わりません。
いつかもお伝えしましたように、重力線は地球の中心まで繋がっていますから、地層を地球の裏側にまで及ばせてイメージする必要はありませんが、今度はその地球を支えている力に気付く必要があります。
地球そのものは、これまで順を追って見て来たような、物質による支えの上に成り立っているのではありません。空間に浮かんで自転公転していると考えられています。
更に視野を広げるとなると、今度は宇宙の外側をイメージする必要が出て来てしまいます。地球を内包している宇宙とは、一体何によって支えられているのか?という意味です。
このように支えを辿って行くと、それは実は物では無い浮遊する力の上に成り立っていることが分かって来ます。
99回目にしていよいよ本当に頭がおかしくなったと思われる向きもあるかと覚悟していますが、是非、関わってしまった行き掛かり上、こんな変なこともせめて一度位は真剣に味わってみてもらいたいのです。
存在とは、それも、しっかりと存在するということは、何も縛り付けられて重たいということでは決して無いということを。
支えとは、現実的な足元よりももっともっと深く、そして更に突き詰めれば、最早浅い深いの概念では計れない世界の上に成り立っているということを。
どうですか、体が少し、軽くなったように感じられませんか。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
100回目の明日も、どうぞ宜しくお願い致します。

つづく
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