こんにちは。
心理カウンセラーのyouです。
最近「愛着障害」に関する本を読んでいました。
親や養育者といった相手との精神的な結びつき(絆)がうまく形成されず、自己防衛的に働く困難のことなのですが、現代では成人の1/3が愛着について不安定な傾向があるそうです。
こういった問題というのは古い時代だと、子供にとって好ましいとは言えない極端な家庭環境(虐待や戦争などによる死別など)で形成されるものと言われていたそうですが、現代はいわゆる一般的な家庭で育ったとしても安定しない愛着状態にある成人が増えているそう。
すこし難しい言い方になってしまいましたが、いつからか人付き合いを避けて引き篭もりがちになったり、人の感情に敏感になったり、人間関係でのトラブルを抱えたり、嫉妬心が抑えられなかったり…生きづらさを抱えている人は多いのではないでしょうか。
本来であれば、自分自身の言動が悪いのではなく、自分のこれまでの生い立ちが原因となり植え付けられた思考が起因となっているだけなのに、つい自分を責めてしまったり、他の誰かと比べて落ち込んだり…。
人の悩みとは、高次な欲求になればなるほど対処が難しいものです。
今よりもずっと前、「愛着障害」という考えが学者たちのなかで見出されたのは第二次世界大戦後といわれています。
その頃は、世界はもっと不便だったでしょうし、わたしたちの生き方の選択肢はもっと狭かったでしょう。
特に戦後とくれば、衣食住のような人間の基本的な欲求を満たすことが最優先のような時代ですよね。
それに比べ、現代において衣食住に困ることは昔ほどは多くないかもしれません。明日争いに巻き込まれて死ぬかもしれない、なんて身の安全に不安を感じながら日々を生きるひとも少ないでしょう。
そういった基本的な部分が満たされると、欲求はどんどん高次なものになります。
愛着障害を持つ大人が増えたのは、ある意味現代が豊かになった弊害なのかもしれません。
だからこそ、より多くの人がご自身のメンタルケアについて積極的になったり、人付き合いなどでつまずきがちだな、と感じたら一度カウンセリングなどでご自身を見つめ返してみる、という機会が必要なように感じます。
「普通」という言葉は一見便利ですが、とても曖昧であり、ある意味現実的ではなく理想論のように感じることがあります。
「特殊な環境ではなく、普通の環境で育ったから愛着障害なんてない」と片付けてしまってはいないでしょうか。
「このぐらいの忙しさは普通だから」と忙しさに追われる理由にしてしまっていないでしょうか。
普通の度合いは人によっても様々です。
「普通」という言葉に捉われすぎず、ご自身が困難だなと感じるようなことがあれば、それはご自身を見つめ返し、次に進むためのきっかけになるかもしれません。