【「やっくん」 著者:久木弥九蔵】

記事
小説
 今回は、最大の自己開示と言うべき長編。
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 父親譲りの並外れた小柄な体格の所為か、
 母譲りの並外れて真面目な気質の所為か、
 意識が芽生えてから今までロクなことが
 ない。幼稚園の頃クラスの女の子に面と
 向かって「泣かしたろか?」と言われて、
 つい頷いてしまい見事に泣かされたこと
 がある。小学六年の時、三年の時の担任
 の先生の家に遊びに行こう、という話に
 なったが、女子の一人が、私が行くなら
 行かない、と言ったために中止になった。
 彼女がそう言った理由は不明だが、私に
 とっては、そのことよりも、それに憤慨
 した友人達に近所中連れ回され、道行く
 子供達に「彼のことどう思う?」と延々
 聞かれた続けたことの方が余程痛かった。
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 身長は大抵クラスで一番低かった。逆に
 妹は大柄(今思えば成長が早かっただけ)
 だったので小柄な兄と大柄な妹と近所中
 で言われた。一度だけ自分より背の低い
 男子と同じクラスになった時は「あんた
 より小さい子がいたんや」と母が驚いた。
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 中学一年の夏休み明けに自転車で転んで
 右の鎖骨を折り、その夜、入院して手術
 を受けた。約一カ月間学校を休んだ所為
 で二学期に著しく下がった成績の遅れは
 三学期で取り戻し、何とか汚点は消した。
 だが、右肩の手術の跡は死ぬまで消えぬ。
 中学三年で転校し、夏休みには一年生の
 問題集からやり直すという、恐らく我が
 学生時代最大の猛勉強により実力をつけ、
 何とか進学校と言われる高校に合格した。
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 高校・大学では、演劇・放送の部活動に
 かまけてろくに勉強した記憶などはない。
 その割に、国語の試験で学年1位になる、
 実力テストでクラス1位になる、という
 こともあったが、それよりNHKFMの
 番組に生出演したり、自分で脚本を書き、
 主演までしたラジオドラマがKBS京都
 で放送されたり、厚生年金会館大ホール
 でMCをやれたりしたことの方が余程に
 嬉しかった。自分の場を得た思いだった。
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 そんな私がざっくばらんな家庭で気まま
 にやっていたかのというとそうではない。
 父は、交際相手の紹介や結婚の挨拶等で
 他人が家に来る度に、我が家がそういう
 家庭であると殊更に強調したが、実際の
 父は子供にあまり構わず、小遣いも殆ど
 貰った記憶がないし、口を開けば食事に
 ケチをつけるか家族を見下すようなこと
 ばかり言っていた。だから、家族揃って
 食事をする時など随分閉口した。家族の
 中で自分が一番偉いと考えているらしく、
 相手の自信を喪失させる発言が多かった
 ため、私は、性格上、自己肯定感のない
 ままに成長し、後の人生にも大きく影響
 することになった。こんな家庭のどこが
 「ざっくばらん」なものか。ただ、勉強
 しろと煩く言われないことは有難かった。
 母は、良い所は褒めずに悪い所だけ叱る、
 という風で子供の目には理不尽に見えた。
 また、妹が幼稚園の頃から将来を夢見て
 ピアノを習い始めると、そっちの世話に
 つきっきりとなり、私のことなど完全に
 ほったらかしになった。だから、勝手に
 過ごしていただけ、これが本当のところ。
 妹にピアノを習わせるついでに兄の方も
 児童劇団かどこかに無理にでも入れると
 いうくらいしてくれれば良かったのだが。
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 就職は随分悩んだ。自分の如き昔気質の
 不器用者に並の勤め人が務まる筈もなく、
 一度きりの人生、平凡な生き方をしたく
 ないという気持ちもあった。舞台の上に
 立ち続ける人生を送りたかった。しかし、
 結局は、夢と飯とを秤にかけて飯を取り、
 「親がこれまで子を育ててきたのはそう
 させるためではない」と己に言い訳した。
 そうまでして普通の勤め人にはなったが、
 不本意な人生を送っているという気持ち
 が常にあるため、何かあると抑えられず、
 何故か数年おきに何らかの衝突がある度、
 私は留まる選択を避けた。そこまでして
 守るものなどなかった。最初の就職先で
 後輩の女性社員に愛されているのを知り
 ながらも、子供の頃からの自己肯定感の
 低さ故に恋愛にまで進めなかったことと、
 上層部との衝突が時期的に一致し、これ
 以上こんな目をし続けていてはいけない、
 と強く思ったことで五年かかって築いた
 地位をあっさりと捨てた、ということが
 あったが、ここでの展開が違ったもので
 あれば、その後の人生は全く違った筈だ。
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 三十を過ぎてから婚活し、まあ人並みか
 どうか分からんが結婚した。妻の人柄は
 格別悪くなかったが、家庭よりも仕事と
 実家を優先する妻との間には夫婦の生活
 と呼べるものは存在しなかった。それで、
 時には随分苦言も呈したが、もし、あの
 頃の自分に今と同等の学びが身に付いて
 いれば妻との関わり方も違っていた筈で、
 最悪の事態を迎えることもなかったかも
 知れないが、結局、この結婚生活は四年
 と十カ月で破綻した。結婚している間は、
 守らねばならぬ家庭があるという意識で
 職場でも心を抑えられたが、恐れた通り、
 家庭の崩壊と職場との衝突が同時に訪れ、
 四十歳を前に家庭と仕事を一度に失った。
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 再就職後に、ある人の希望で、その人の
 支援で起業をすることになった。あまり
 気は進まなかったが、過去の経緯もあり、
 断れなかった。だが、開業前に空中分解。
 人間関係崩壊と多額の財産の誤魔化しに
 あったという苦い思いだけが後に残った。
 一度に多くの不幸に見舞われた心労故か、
 次の勤め先で、不祥事を起こして辞めた
 前任者の後粗末をレクチャーもないまま
 一方的に押し付けられ、責任を問われて
 上から責め続けられたことと、「自分が
 理解できないことは認めない」スタンス
 で指示に従わぬ部下の女性社員との衝突
 で遂に精神疾患を発症した。医師の診断
 と指導により「双極性感情障害」とされ、
 精神障害者保健福祉手帳所持者となった。
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 以後、自分を磨くために、仕事一辺倒の
 姿勢を捨てて、様々な活動を通して他者
 との交流を深めて、スキルを高めながら、
 人のあるべき姿を模索してきた。某劇団
 に加入したのもその一環で「久木弥九蔵」
 はその際に考えた芸名である。離婚の後、
 ひょんなことからクッキーを焼くように
 なっていたことと、洒落っ気のある芸名
 にしたかったことから「クッキー焼くぞ
 ⇒久木弥九蔵(くきやくぞう)」という
 ことになった。言わば、「よし、行くぞ
 ⇒吉幾三(よしいくぞう)」と同じ発想。
 他にもいくつか考えた中から、最終的に
 当時交際していた彼女に決めてもらった。
 すると劇団の歌の先生が私を「やっくん」
 と呼び始めた。何でも、「この呼び方が
 いい。じゃなきゃイヤ~」なのだそうだ。
 やっくんでもふっくんでも勝手に呼ぶが
 いい。頼んでもいないのにそんな可愛い
 イメージで見てもらえると手間が省けて
 結構だ。その劇団や障害者雇用としての
 再就職先で、他者を尊重しない、自分を
 振り返って反省をしない、という多くの
 人々の在り方が無意識に他者を傷つけて
 いる現実を目の当たりにして、職場環境
 の整備や人に寄り添う必要を強く感じた。
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 企業には、従業員の心の健康を守るため、
 「安全配慮義務」があるのだが、それは
 机上の空論に過ぎず、少なくとも、私が
 経験した職場に関しては「安全配慮義務」
 とは無縁だった、と言って差し支えない。
 「仕事しているフリをしている」などと
 陰口を叩かれたり、自分の歓迎会だけが
 開催されなかったり、忘年会の会場への
 移動時に置き去りにされたり、席にいる
 にも関わらず自分にかかってきた電話に
 勝手に対応されて事後報告もなかったり、
 それまではどこでも言われなかったのに、
「体臭がきつい」と言われ、毎朝出勤後に
 トイレにこもってボディーシートで身体
 を拭き、着替えてからオフィスに入ると
 いうケアまでしていても、仕事中に度々
 拭いてくるように言われる始末。一応は
 病院で診てもらって「問題ない。むしろ、
 良い感じ」とのことであり、そうなると
 感じ方の問題だから、誰が悪いという訳
 でもない。日頃の職場環境から考えたら、
 本当に臭うと言うなら「ストレス臭」に
 間違いなかろう。これが精神障害者保健
 福祉手帳所持者に対してするべき仕打ち
 かと思うと実に情けなかった。会社側に
 ケアを求める気持ちはないが、立場的に
 言えば、ケアされる筈の側に逆にケアを
 求めるばかりか、次々とダメージを与え、
 あまつさえ、「公平に接してほしい」と
 訴えたら一方的に「甘ったれるな!」と
 威嚇するんだから何をかいわんやである。
 それで、都合が悪くなると、勝手な理由
 を付けてお払い箱だ。そこに正義はない。
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 それから、今後の自分の生き方について、
 今まで以上に真剣に考えた。いつまでも
 このまま勤めを続けていられるものでは
 なし、既に五十に手が届く年齢になって
 いる。五十過ぎてこんなことの繰り返し
 では先が見えない。それに、これからは、
 企業にしがみつかずに一生働けるように
 しておかんといかん。第一、行く先々で
 従業員の心の健康が守られていないこと
 をこれだけ目の当たりにしては、そんな
 現実の改善や傷ついた人に寄り添うのが
 同じ痛みを知る自分の務めだというもの。
 どれだけのことがやれるか分からないが、
 これからはメンタルヘルス関連の勉強に
 力を入れ、資格も取ろう、と心に決めた。
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 その後、メンタルヘルスマネジメントの
 検定3種と2種に合格したのを皮切りに、
 メンタルケア・アドバイザーの資格取得、
 心理カウンセラーの資格取得、と学びを
 続けていった。まあ人並みに勉強はした
 つもりだが、人より抜きんでているとは
 言えず、どの程度力がついたのかも全く
 分からない。それでも偉いもので試験を
 受けたらみんな合格してしまった。自分
 でもおかしいとは思ったが、文句を言う
 理由もないから、有難く合格しておいた。
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 誰に対しても自分が受けたような仕打ち
 はあってはならない、と思ったことから
 今の仕事(メンタルケア・アドバイザー、
 心理カウンセラー)を志すようになった。
 メンタルヘルスを少しでも学んだ人なら、
 企業にとって従業員の心の健康が如何に
 大事か容易く分かることなのに、人の心
 の痛みが分からない、いや、分かろうと
 しない人がどれ程いることか。現実には、
 そんなことも理解できない管理職が多い。
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 現在の自分のことを話すのを忘れていた。
 「五十にして天命を知る」を地でいくか
 の如く、昨年、職場の契約終了を契機に
 フリーとなった。今は、生活苦を承知で
 開業を目指して力を養うべく勉強に励む
 毎日だ。このような状態に加えて、新型
 コロナウイルスの先行きが見えず不安が
 著しい現状により経済的にも精神的にも
 苦しい引き籠り同然の生活を強いられて
 いる中、少しでも「自分にできることを
 したい」と切に願い、なりふり構わずに
 昔取った杵柄でない知恵絞って替え歌を
 捻り出している。見た人の励みになるも
 よし、世の中こんなバカがいると笑いの
 種になるもよし、少しでも心の活性化に
 つながるなら幸いだ。今後も発想の続く
 限りは新作を次々にお届けしたいと思う。
 将来的には、手作りクッキーなどを携え、
 替え歌歌唱等の娯楽を通して皆で楽しむ
 ワークを行い、その中で、必要に応じて
 カウンセリングもやりたいと考えている。
 心理学を突き詰めたいというのではなく、
 あくまでも人に寄り添って楽しく交流を
 深めながら自他共に自己成長していく場、
 サロンを作りたい。その前に、外部での
 ボランティア活動等で自己力を高めたい。
 未曽有の事態のため思うに任せないのは
 手痛いが、開業の暁に協力し合える人や
 カウンセリングを希望している人がいる
 のは何よりだ。また、心理カウンセラー
 養成学校の登録カウンセラーであるため、
 自宅の一室は依頼があればいつでも使用
 可能である。だから我がカウンセリング
 ルームは大阪府下の自宅にあるのである。
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 御閲覧、心より感謝申し上げます。
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