奪われた人は、誰かから奪い返すー縁起としてのいじめ

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コラム
いじめは、子どもが突然始めるものでしょうか。



上司に押しつけられた怒りが、

父に流れ、

父の余裕のなさが妻に流れ、

妻の張りつめた心が子どもに流れ、

子どもは学校で、さらに弱い子に流す。



これは性格とか家庭環境の問題だけで片付けないで、

エネルギーが弱い方向へ流れる構造と見るとよく見えてきます。



人は誰かに奪われると、奪われた分を埋めようとして、

「反応してくれる誰か」 に向かう。



外に向かう攻撃は、不足の補填行為です。



だから、子どものいじめは

大人社会の圧力の「最終地点」で起きる。



いじめは子どもの問題ではなく、

家庭と社会で流されてきた感情エネルギーの最終処分場。



縁起という言葉があります。

現象は独立せず、無数の条件の連鎖として立ち上がるという考え方。



いじめもまさにそうだと思いませんか。



誰か一人の悪意から生まれるのではなく、

奪われたエネルギーが連鎖し、形を変えて現れている。

まず大人が気づくこと。

自分はどこで奪われ、どこへ流しているのか。



そして、子どもに対しても問いを向ける。

彼らは誰に奪われ、何で取り戻そうとしているのか。



この二つの視点がそろったとき、

いじめは「悪い子の問題」ではなく、

エネルギーの連鎖として読み解けるようになる。



その一つの自覚こそが、

いじめの縁起を変える最初の一歩になると考えます。
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