奪われたエネルギーが弱いほうへ流れ、
いじめや攻撃になる連鎖がある。
当然、反対側の流れも存在しています。
人は、自分の内側がある程度満ちているとき、
「頑張って与えよう」としなくても、優しさが勝手ににじみ出る。
たとえば仕事帰りの父は、家のドアを開けるころには、
もう仕事の顔をしていない。
表情はゆるみ、声の温度も静かにもどっている。
その安定が、まず配偶者の緊張をゆっくりほどき、
子どものケンカも自然と減っていく。
職場でも。
誰かひとりが本当に機嫌よく落ち着いているだけで、
会議の空気が不思議と柔らかくなる日がある。
それは「満ちた状態」が静かに伝染しているだけです。
優しさは、技術ではなく「状態」だ。
逆に、自分を削ってまで与えようとした瞬間、
優しさは歪んでいきます、技術があっても。
「あなたのためにここまでやっている」
そんな犠牲の優しさは、
相手に感謝ではなく、罪悪感と負い目を残すでしょう。
関係は軽くならず、重く感じることもあるでしょう。
満たされていない心から出る「君のために」は、
相手を自由にするどころか、鎖でしかありません。
人は、余白の分だけ助けられ、
満ちている分だけ、軽やかに優しくなれる。
結局、優しさの資格があるとすれば、
自分がちゃんと満たされているかどうか、それだけ。
満たされていないなら、
まず黙って自分を満たすこと。
それが、ゆっくりでも確実に世界を良くしていくことです。