私たちは「正解がある」と思い込むように育てられていると思います。
勉強にも、恋愛にも、生き方にも、
まるでどこかに模範解答が存在するかのように。
この前提を、強烈に刷り込まれてきました。
学校生活を思い出してみてください。
ほとんど答えが用意されていませんでしたか?
選択問題で選択肢以外から選べましたか?
教えられてきたことが何故正解と言えるのですか?
おもしろいと感じるのは、正解があると思っていれば正解はあります。
これが正解だと、これが常識だと言われるもの。
ただそれは、あなたにとって心地いいものかどうか、
人生を豊かにするかどうかは関係ないものです。
正解があるから、自分の判断を外部に委ねます。
そして世の中には、誘導があふれています。
正解があると思わせることで、人は動かしやすくなる
正解を探す人は、自分で考えない。
「どうすればいいですか?」
「それのエビデンスは?」
と聞くようになります。
すると、
権威の声
世間の空気
専門家の言葉
などが正解として扱われ、ある意味では信仰です。
自分の意思決定まで外注していることに気づけなくなってきます。
人が簡単に動かされるところを見たことありますよね。
■ 正解があると信じる人ほど、操りやすい
正解を信じる人は、
正しい答えを探し続け、
自分の感覚を疑い、
自分の判断を後回しにする。
その結果、
もっとも従順で、もっとも誘導しやすい存在になる。
「正解がある」と信じている人は、
正解を持っている人に従属するようになる。
■ 多くの不幸は、“正解探し”から生まれている
生き方の正解
愛され方の正解
働き方の正解
幸せの正解
親の正解
発信の正解
自己肯定感の正解
本来あなたにとっての正解は、あなたの感覚です。
誰かの正解は、あなたの正解とは限らない。
正解探しは、自分の感覚が「不正確」だと思わされてきたから。
■ 誘導の設計
正解信仰は、社会にとってとても都合がいいものです。
正解を提示すれば、
その正解に沿って人は動いてくれる。
「これを買えば幸せになれる」
「この方法がベスト」
「みんなやっている」
正解が提示された瞬間の安心感が餌。
わかりやすいのはTVショッピングとかですかね。
提示された正解を信じた瞬間から、動かされていきます。
■ 正解は幻想
正解がないと知ると、多くの人は怖くなるかもしれません。
でも落ち着いて考えてみれば恐怖の下に、
本来の判断力・感性・主体性が眠っています。
「自分はどうしたいか」
この問いかけに戻った瞬間、誘導は効かなくなります。
正解の枠が消えると、
あなたの世界はあなたの選択で決めるしかないに変わる。
正解を探す生き方は、誰かの物語に乗ることです。
選択を取り戻す生き方は、自分の物語を始めることです。
世の中には誰かの意図で作った正解があふれています。
それを知った上で、何を選ぶかは自由です。
知らないで選び続けると、苦しくなっても逃げ道がなくなりますから。