独自ルールに縛られる
頭の中には悪魔のささやきのような声があったり、
そのほかにも、自分で決めたルールがたくさんあります。
しかも、多くの場合「自分で決めた」という認識すらありません。
それらは、育ってきた環境の中で形づくられてきたものです。
たとえば、私の場合。
小さい頃は「男だから人前では泣いてはいけない、弱音を吐かない」と思い込んでいました。
漫画やアニメでかっこいい男像を教えられ、
小学校に入ったくらいの頃には辛いことも顔に出さず、
我慢できるようになっていたと思います。
ですが、これは自分の思い込みだったと、
周囲の人々が気づかせてくれることもあります。
学校に行けば、男の子でも泣いたりわがままを言ったりするのは普通に見られますし、
そこに思い込みはありません。
逆に、自分にはない思い込みを持っている人がいることにも気づくことがあります。
ほとんどの人には、さまざまな独自ルールを持っているはずです。
たとえば「時間に遅れてはいけない」というルール。
小さい頃から「遅れる人はルーズで不真面目、周りに迷惑をかけている」と教えられると、
社会に出て遅れてくる人を見るだけで腹が立ちます。
なぜか、自分の中に「時間にルーズ=迷惑をかけられた」という思い込みがあるからです。
平気で遅刻する人を見ると、「こちらに敬意がない」と感じてしまいます。
しかし、それは自分のルールを通して見た世界であって、事実かどうかはわかりません。
遅刻は絶対にダメだと思っている人からすると、
「じゃあ時間にルーズなのがいいのですか?」と言いたくなるかもしれません。
ですが、どれほど真実味があっても、それは自分が思い込んでいるマイルールにすぎないのです。
たとえば、「困っている人に手を差し伸べるのが優しさだ」と教えられた人と、
「知らない人に手を差し伸べるのは危険だからやめなさい」と教えられた人。
道端で困っている人を見たとき、前者は助けようとし、後者は警戒します。
反応は、ルールによって変わるのです。
そういえば、私が子供の頃は知らない人でも挨拶していましたが、
ある事件が起こってからは、知らない人に声をかけてはいけないというルールが広がってきましたね。
時代・世代によってルールが変わるのはよくある話です。
だからこそ、自分の中にどんなルールがあるのかを知ることがとても大切です。
なぜなら、本来の自分と合わないルールもあるからです。
あくまで自分にとって必要かそうでないか。
たとえば「真面目に、コツコツ、公務員のように安定した道を行きなさい」と育てられ、
「それが人生の正解だ」という思い込みができたとします。
実際に公務員になり、毎日まじめに働き、定年まで勤め、給料をいただき、冒険はしない——。
しかし、もしその人が冒険心の強いタイプであれば、
誰かの「正解」とは感覚が合わず、いずれ「何か足りない」という感覚にぶつかります。
逆に、同じことを積み重ねるのが好きな人であれば、そのルールでも違和感は起きないかもしれません。
ズレるときに、違和感として現れるのです。
もうひとつわかりやすいのは、自分のルールで「すべきではない」と思っていることを他人がやると、
強い怒りが湧きやすいということです。
嫉妬や苛立ちが湧くとき。
なぜかというと、自分もそうしたいのに、頭のルールがそれを許していないからです。
このようなことが、少なからず嫉妬や妬みの正体であることが多いです。
ですので、自分が嫉妬や妬みを感じる相手を一度観察してみると良いでしょう。
もしかしたら「自分が本当はやりたいこと」を教えてくれている、ありがたい存在かもしれません。
それは誰にでも起こります。
強い苛立ちが湧くときは、「それをやってはいけない」
というルールが頭にこびりついていないかを見つめてみてください。
やりたいことがやりきれないと、抑圧が怒り・妬み・恨みといった形でたまっていきます。
そのとき、本当にやりたいことをしている他人を見ると、攻撃したくなるのです。
個人的には、不倫スキャンダルが大きく叩かれる現象を見たとき、
「多くの人が本音とルールの間で抑圧されている」と感じます。
良い悪いの話ではなく、あなたのルールが内面にあるということです。
校則などを思い出してみてください。
ルールは少ないほど、自由に過ごすことができます。
そのままの感覚で、生きやすくなるのです。
ただし、ルールを見つけるのは簡単ではありません。
なぜなら、ルールとは思わず、当たり前だと考えているからです。
それでも、「これは思い込みではないか?」と一度立ち止まって観察すること。
日常で何かに強く反応したとき、「自分の中の『やってはいけない』が作動していないか」と問い直してみてください。
本当の自分にはいらないものを見つけ出す。
「この考えは私じゃない」と腑に落ちたとき、それは自然と消えていくものです。