パンデミックの際、多くの人はメディアの報道に翻弄されていたと感じます。
感染の影を繰り返し強調すれば、多くの人は不安になり、薬や検査や保険に群がりました。
恐怖は商品になり、仕組みを知る側はそれを利用し続けていました。
それは今でも有効な仕組みとして機能しています。
だからこそ、その恐怖を疑わずに受け入れ、さらに周囲にまで広げてしまう人々がいる。
恐怖は「支配の燃料」として、循環していきます。
「無視は無責任」という言葉の裏側
「無視するなんて無責任だ」という非難は、しばしば聞かれる。
だがその裏には「誰かに守ってほしい」という依存。
誰かの身勝手に攻撃されるという妄想。
国に守られたい人は、従わない人を責める。
情報にすがる人は、無視する人を怖れる。
結局のところ「無責任」という言葉は、自らの依存を隠すための責任転換です。
情報過多の罠
情報は本来、助けになるもの。
だから、不必要な知識を集めすぎれば、混乱するしコントロールもされてしまいます。
子育てであれ、健康法であれ、専門家の意見を次々と比較して混乱する例は多い。
SNSでダイエット法を探し続け、結局行動できないのも同じ構造だ。
以前は知識の量が多い人はもてはやされましたが、今の時代は意志を持って調べれば
「今この瞬間に自分が何を必要としているか」を見極めることもできます。
無視という選択
いらない情報は徹底して無視する。
それは、逃げではなく結果を自分の責任として引き受ける姿勢である。
恐怖が迫ろうと、批判の声が飛ぼうと、損失があろうと、
「これは自分の選択の結果だ」と受け止める。
その覚悟があってこそ、支配の炎に油を注がず、依存の糸を断ち切ることができる。
人生の舵を自分の手に取り戻す。
不要な恐怖や過剰な情報から距離を置くことで、現実が再び鮮明に見えてきます。
まずは一週間、TVやネットニュースなど無視してみてはどうでしょうか。
ほとんどの情報は自分にとって必要ないものだったと感じるかもしれません。
必要な情報は主体性を持って取りに行けばいいだけですから。