「私が歪んだのは親のせい」
「あの人さえいれば幸せだった」
「不幸は誰かのせい」
「幸せは誰かのおかげ」
――違うことを言っているようで、実は全部同じ。
主体が外にある。
本人は、蚊帳の外にいる。
誰のせいにしても、誰のおかげにしても、
結局は人生を自分で運転していない。
そう気づけるかどうかが、分かれ道です。
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人はみんな、自分の都合で生きている
人は誰でも、自分を中心に物語をつくります。
調子がいいときは「私のおかげ」。
都合が悪いときは「誰かのせい」。
それ自体は、人間の自然なクセのようなもの。
だから「被害者の顔をしてしまう瞬間」があっても、不思議じゃない。
けれど、それを続けていたら──。
主人公を気取っているのに、都合が悪いとすぐ脇役に逃げる。
それは、もったいない生き方です。
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主人公なら、言い訳を降ろそう
「私は自分の人生の主人公です」
そう宣言するなら、こうも思っていませんか。
「でもあの人が…」
「でも私の過去が…」
そこに、誰の許可が必要なのでしょうか。
解放や覚醒という言葉は、演じることもできます。
けれど、主人公なら。
言い訳をやめること。
誰かのせいにしないこと。
すべて、自分で引き受けること。
そのとき初めて、
「誰かのおかげだ」と心から言えます。
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幸せにも不幸にも、自力でなれる
現実はシンプルです。
幸せにも、不幸にも、
誰かがいなくてもなれる。
「親のせいでこうなった」と言った瞬間、可能性は閉じる。
「あの人のおかげで救われた」と言った瞬間、自分の力は遠ざかる。
他人を恨んでいるうちは、不自由。
感謝しすぎても、不自然。
誰かのせいにしても、何も変わらない。
誰かの助けを待っていても、何も始まらない。
やるか、やらないか。
引き受けるか、逃げ続けるか。
それだけです。
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最後に
もし人生が、自分の手から離れていると感じるなら。
まずは「都合のいい考え」を降ろしてみること。
甘えを脱ぎ、依存を捨てたとき──。
静かに、
けれど確かに、
自分の中の強い力が立ち上がります。