テレビのクイズ番組を見ていると、知識を持つ人が称賛される光景に出会います。
幅広い知識を持つことは確かに価値があり、尊敬に値することです。
ただ──それがそのまま、人生を潤わせるのでしょうか。
知らなくても困らないことまで詰め込むことで、
余計な思考や不安を抱え込む危険性もあるのではないでしょうか。
情報リテラシーが大事だと言われます。
今回は、その前に感じる根本的なこと。
「そもそも、どこまで知っている必要があるのか?」
社会は知識を持つ人を持ち上げます。
しかし、それに乗るかどうかは、あくまで個人の選択であるべきです。
情報の逆説
知らなくても幸せに生きられることはたくさんある。
(海外の政局、遠い国の紛争)
知りすぎたせいで不幸になることもある。
(SNSで他人の悲劇を浴び続け、無力感や不安に飲み込まれる)
「世界を知らなすぎる」と批判される日本人の情報習慣も、
見方を変えれば 生き延びる知恵 といえるのかもしれません。
実際、知らない本人がどれほど困るのでしょうか。
知っている人からすれば「損をしている」と見えるかもしれない。
けれど──知らないままの方が、心は軽く保たれることもある。
幸福と情報量
幸福を左右するのは「情報の多さ」ではなく、自分で選んだ情報の質です。
変えられる範囲 → 調べて使う。
変えられない範囲 → 知らない方が心は平穏でいられる。忘れる。
これは「過去をクヨクヨしない」ことにも通じます。
どうにもならないことを握り続けるほど、人は自分で自分を苦しめてしまうからです。
多くの人は不要な知識を求めすぎてはないでしょうか?
「世界を知らなすぎる」という批判は、必ずしも正解ではありません。
むしろ必要なのは、どうにもならないことを知ったのなら、無視し、忘れること。
それには勇気がいりますけどね。
情報の渦に呑まれず、
あなたの幸せに本当に必要なものだけを選び取ること。
そして最後に、問いかけてみてください。
「いま自分が知りたいと思っているその情報は、本当に知る必要があるのか?」
知りすぎることは、時に無知よりも危うい。
知らないままの方が、幸せに生きられる真実もある。
それも自分で選択できます。