※注 あくまで個人的考察ですので、緩くお考え下さい。
0|構造は「全体像」である
構造とは、部分の集合ではない。
部分が生まれる地形そのものである。
意味や価値観のように後から貼られたラベルではなく、情報が置かれた瞬間に立ち上がる空間的な全体像。
構造は説明ではない。
説明が生まれる源泉である。
構造は抽象ではない。
抽象が可能になる骨格である。
構造は理解ではない。
理解が流れ込む器である。
そして、ここがこの文章の前提になる。
知識は構造そのものではない。
知識は構造から生まれた結果であり、構造を言語として切り出した断片である。
影だけを集めても地形は見えない。
だから知識は否定されるものではなく、構造の後から接続される素材として扱われる。
この違いが、本稿でいう非対称性の出発点になる。
1|構造は「地形」として立ち上がる
情報に触れたとき、人は言葉より先に何らかの認知を行っている。
私のモデルでは、その認知は一つの「地形」として立ち上がる。
その地形は、
面(Plate)
線(Axis)
勾配(Gradient)
境界(Boundary)
テンション(Tension)
のような要素で構成される。
これは意識的な思考というより、認知の深い層で生じる現象として捉えている。
この地形が自然に立ち上がる人もいれば、そうではない人もいる。
ここでは、その違いを能力ではなく、認知様式の違いとして扱う。
2|知識は地形を切り出した断片である
知識とは、地形を言葉として切り出した結果である。
知識そのものに価値がないという意味ではない。
むしろ知識は、地形を他者と共有するための重要な媒体である。
ただし、媒体そのものが地形になるわけではない。
地図を集めても山そのものにはならないように、知識だけを積み重ねても構造そのものが立ち上がるとは限らない。
逆に地形が見えているとき、知識は必要に応じて自然に接続される。
私のモデルでは、この順序を重視している。
3|影の補完
構造を直接扱えない場面では、人は不足した解像度を言葉で補う。
その補完は様々な形で現れる。
個人では曖昧語。
知的活動では単純化や要約。
集団では倫理や共通規範。
もちろん、それぞれには固有の役割や歴史がある。
ここで注目したいのは、それらを否定することではなく、
「構造へ直接触れられないとき、人は別の層で世界を安定させようとする」
という共通した働きである。
4|不可知という境界
不可知とは、難しいという意味ではない。
現在の認知様式では直接扱えない領域を指す。
私のモデルでは、
構造 > 知識 ≧ 経験 > 感情 > 個性
という階層を仮定している。
この階層は価値の上下ではなく、
どの層がどの層を支えるか
という依存関係を表現したものである。
構造は知識を生み、
知識は経験を整理し、
経験は感情を形作り、
感情は個性として現れる。
この見方を採用すると、「不可知」は量の問題ではなく、認知の接続様式の違いとして現れる。
5|非対称性という現象
非対称性とは、この認知様式の違いから生じる現象である。
同じ情報を見ても、
ある人には地形として立ち上がり、
ある人には景色として映る。
ここで言いたいのは、どちらが優れているかではない。
世界との接続の仕方が異なるということである。
知識や経験によって埋まる差もあれば、それだけでは埋まりにくい差もある。
本稿では、その後者を「非対称性」と呼んでいる。
6|構造は説明より先にある
構造そのものは、完全には言語化できない。
しかし、その存在を示唆する現象は観察できる。
構造は説明ではなく、説明が生まれる場所。
構造は理解ではなく、理解を受け止める器。
構造は抽象ではなく、抽象を可能にする骨格。
そして知識は、その地形から切り出された断片である。
この文章もまた、一つの結論を提示することより、「自分はどこで納得し、どこで違和感を覚えたのか」を観察するための素材として機能することを意図している。