一度「嫌いだ」と思ってしまうと、
もう、あの人のすべてが気になってくる。
食べ方が気になる。
笑い方が不快。
口癖に、なんとなくイラっとする。
──たった一つの違和感から始まったはずなのに、
いつの間にか、「全部が無理」になっていた。
でも、冷静になって思い返してみると、
本当に嫌だったのは、たった“一部分”だった気もする。
自分の中で勝手に「嫌い」とラベルを貼って、
その人そのものを見えなくしていたのは、自分だったのかもしれない。
「嫌い」の奥にある、もっと正直な気持ち
嫌い、という感情は突き放すようで、実はすごく個人的だ。
なぜなら、私たちは「自分の内側にあるもの」にしか反応できない。
● 嫉妬
その人の自由さ、図太さ、鈍感さ。
私にはできない生き方を、軽々とやっているように見えて、
心のどこかで「ずるい」と思っていたのかもしれない。
● 恐れ
言葉がきつい。態度が馴れ馴れしい。
過去の“嫌な記憶”を呼び起こすような言動に、
無意識に「また傷つけられるかも」と身構えていたのかもしれない。
● 不一致
「こうあるべき」自分の美学と、その人の在り方がズレている。
そのズレを「間違ってる」と感じていた。
本当は全部「自分の反応」だったのに、
それを認めたくなくて「相手が悪い」にしていた。
正直に言うと…
私だって、
あの人の悪口を誰かに言いたかった。
「あの人ってさ〜」と共感してもらってスッキリしたかった。
でも、そうやって憂さ晴らしした後、
少しだけ自分が浅く見えた。
そんな自分がめんどくさくて、また嫌いになって。
負のループの中で、どんどん自分も嫌になっていった。
「嫌い」との距離の取り方
じゃあ、どうすればいいのか?
無理に好きになる必要はない。
無理に許す必要もない。
ただ、「あ、今私はこの人が嫌いなんだな」
「たぶん、○○に引っかかってるんだな」
と、そっと観てあげるだけでいい。
「観る」ことには、変えようとする力がない。
だからこそ、感情は少しずつ、ほどけていく。
「嫌い」が教えてくれること
「嫌い」と感じた瞬間こそ、
自分の価値観や、過去の傷があぶり出されるタイミングだ。
・何が嫌だったのか?
・なぜ反応したのか?
・何を恐れていたのか?
その問いを通して、自分を知る。
そして少しずつ、「反応」に振り回されない自分になっていく。
嫌いも、大切なセンサー
誰かを嫌うたびに、自分の中の何かが揺れている。
嫌いも、嫉妬も、拒否も、
ぜんぶ“自分の一部”として見つめ直したとき、
ようやく自分自身との関係が変わり始める。
好きになる必要は、たぶんない。
でも、
「嫌いな人がいる自分」を責めなくなったとき、
ちょっとだけ世界は、やさしくなる。