「内側に意識を向ける」と一言で言っても、
その“内側”には人それぞれの意味づけや定義があります。
多くの人は、「内側に意識を向ける」と聞くと、
無意識に内側を“身体の中”に作り上げ、そこを見ようとします。
同じように、「聴く」や「感じる」といった行為も、
自分の持つ身体感覚や過去の思い込みに縛られがちです。
だからこそ、この言葉は簡単に語られながらも、
実際にはとても難しいと感じています。
心の中のことなのに、五感で確認しようとする――
これを不思議だとは思いませんか?
内側に意識を向けるという行為は、
実は「見ようとしている自分」を観ることだったり、
「感じようとしている自分」に気づくことだったりします。
“内側を見る”というよりも、
意識を向けようとしているその構え自体を、観察していく。
それが、本当の意味での“意識を向ける”行為なのかもしれません。
よくあるのは、意識を向けているつもりで、
実際には“思考”という内側の現象をただ眺めているだけ、というケースです。
感情についても同様です。
内側で生まれた“感情という現象”を感じている。
でも、「思考している」「感じている」という行為そのものは確かに“起きて”います。
それを「起きるものとして」成り立たせている、
もっと深い何かがあるのではないか──そう感じるのです。
誰かの言葉を真似たり、知識を集めたりしても、届かないものがあります。
本や動画で「分かったつもり」になることもありますが、
その先にある理解には、丁寧な実践が必要です。
たとえ分からなくても、やってみる。
「これで合ってるのかな」と思ったその疑い、
それはどこから起こったのか?
そこに意識を向けてみる。
何かに心を奪われているとき、私たちの意識は外側に向いています。
では、何にも気を取られていない時──
それが“内側”と呼べる状態だとしたら、どうでしょうか。
ここでいう“外側”とは、物理的な外ではなく、
自分の思考や感情であっても、そこに気を取られていれば「外側」だということです。
また、“内”と“外”という言葉を使うと、
どうしても三次元的な空間を想像してしまうかもしれません。
けれど意識は、場所ではありません。
空間にもなく、あることもないことも証明できません。
実在はわからないけど、確かに存在はしている。
だから「内側に意識を向ける」とは、
ある一点を見ることではなく、
意識が動き出した、その瞬間の“自分”を観ているということ。
ヒントになる言葉や知識はあります。
でも、本当に出会いたい気づきは、
思考の外で、実践の中にふと現れるものです。
分からなくても、かまいません。
分からないまま、ただ静かに観てみてください。
そのとき、
まだ言葉にならない何かが、静かに立ち上がってくるかもしれません。