毒に似た言葉

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          自撮り




「なんで言うことを聞けないの?」



──子どもに。

パートナーに。

部下に。

そして、自分自身に。






人を“動かそう”とするその瞬間、

私たちは知らず知らずのうちに、ある武器を握っています。



それは──

比較です。






「アフリカの子どもたちは、食べたくても食べられないのよ」

「お兄ちゃんは100点取ったのに、あなたは?」

「〇〇さん、もう内定決まったらしいよ?」






もしかしたら、それは善意だったのかもしれません。

でも、結果としては、冷たい風を吹きつけるだけになることもある。






感謝は、美しいもののはずです。

でも「比べて感謝しなさい」と言った瞬間、それは優越感の押しつけに変わる。

罪悪感を添えた“思考停止”の強要に変わる。






言い返せない正論。

でも、心の奥では「何かが違う」と叫んでいる。

その声に、言葉が追いつかない。

「屁理屈だ」と片づけられそうで、飲み込むしかなかった。






子どもはそれを学びます。

黙ることを。

自分の感情を捨て、空気を読むことを。

そして、自分より弱い誰かを、同じようにコントロールする術を。






やがて、大人になる。

「隣の誰か」は、いつも“正解”のような顔をして立っている。

自分の選択は、どこか曇って見えるようになる。






でも──

人は人。私は私。






弟は兄じゃない。

日本はアフリカじゃない。

比べるという行為は、前提の違いを無視することに他ならない。






比較の裏に潜んでいるのは、恐れです。



「負けたくない」

「見下されたくない」

「親にがっかりされたくない」






その恐れが、誰かを引き合いに出させる。

無意識に、自分の不安を覆い隠すために。






でも、本当に人が動く力は、そこにはない。



人の心を動かすのは、

誰かと比べて「劣っている」からではなく、

**自分の中から湧き上がる「好き」や「面白そう」や「やってみたい」**という小さな灯火です。






他人のまなざしに怯えた衝動ではなく、

自分の呼吸に耳を澄ますこと。






もちろん、誰かへの憧れは人生の指針になることもあります。

けれど、それが「自分を責める材料」になるなら、 その憧れは毒に変わる。






大事なのは──

「私は、私の人生を生きているか?」という問いです。






「もっと頑張りなさい。○○さんを見なさい」



そう言われたときは、自分に問い直してみてください。






「私は、私のままで、いいと思えているか?」






YESなら、もう誰とも比べる必要はない。

NOなら、それを変えていけるのは、“今の自分”だけです。






あなたが舞台から降りない限り──

この物語の主人公は、ずっとあなたなのです。






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