なんでもそうなんですが、アイデア出しという固有スキルっぽいのも学習可能です。N=1をどう証明していくかですが(笑)まあ誰かに教えてどうなるかを検証していくしかないわけです。
次の問題としてはそれらのアイデア出しが学べたとしましょう。しかし、そのアイデア出しが学べることで何が出来るのか。その人の能力向上をどう評価できるか。
ギター演奏であれば、ギターのある曲が演奏できたのは明らかです。上手い下手もあるんでしょうが、指の動きや他の余裕など。でも、アイデアを出すことでいっぱいいっぱいから違うことも考えられるとかは、わりと分かります。このあたりの評価判断ができない、可視化できないとなるのかなと。
スケッチであればその技術は多分色々と分解している人もいて、確かにそうやってスキルを分けるしかない、またはプロセスとしてステップで分けると。ただ、そのステップの先に、ビジネスというのを載せても、ビジネスはまたその世界観というか、「必ずしもうまくいくわけでない」性質があるので、ふわっとしてくるんですよね。
これは、ギター演奏ビジネスといってもいいですし、スケッチ教室ビジネスといえば明らかでしょう。ビジネス化するとは、それがうまくいくかどうかわからないというゲームに参加するようなものです。ただ、投資的な意味でなく、無茶なギャンプルをやるわけではないというのが違うと。リニアに直線的に進むものではないと。それによって分からなさが肥大かしていき、不安というか見えない。そういう感覚になるので、分からなくなるんじゃないか。
学習としてのアイデア出しはどう身に付けられるか?
アイデア出しのやり方を提示したとします。というか提示しているんですが、それを本気でやろうという人はごく僅かです。またはアイデアビジネスなんていうところを本気でやろうという人はクレイジー(狂人)扱いされるでしょう。良い意味でits crazy!!なんて褒めてるんですが(笑)つまり、僕もちょっと変わってるわけですよ。
世界?社会側からそう変わっていると思われているのは全然良くて気にしないんですが、「悪い狂人」でなく「良い狂人」というのを目指すわけです。それは僕のポリシーであるくらいです。
そういうところで、変わった人でないと身に付けられないかというとそうではなく、ここでは身につけたいなーって思う人が対象です。
ですが、本気という言葉はかなり曖昧ですが、なぜそれをやるのか?というと、なんとなく「面白そう」だからという入り口、入りがあると。それは僕もそうですから。そうやって入ってやってみて、またはやってみたら面白いという体験。それがないとやらないですよね。
間違っても「やりたくないなという人にアイデアを出せ!そのやり方を教えてやるぞ!」なんて思ったことはないですし、やることはないです。まあ研修をやる側サイドに立つとそういう社員の人がいるのが目に浮かぶのが矛盾していますが、まあありそうですよねーくらいで止めておきます。
なので入り口は楽しく、そこらへんからやっていくと面白そうだぞ。なんかもっとやりたいぞ。という設計になっていかないとなと。勝手にそういう人が増えていくだろうという甘い考え(と思っているのですが)はここにはないです。僕がですね。なぜなら、人は興味を持たないとやらないし、学習しない。一方で、これは「快」的なポジティブな、プラス的な話ですが、どうも快適になるって弱いんですよね。
「不快」になるからそれはやだ。それこそ痛いから変えたい、直したい。そっちが強力です。虫歯→直したい→歯医者へいく。分かりやすいですよね。そこで「不安を煽る」わけです。「今後の社会に英語を身に着けないと、シゴトがうまくいかないですよ!」なんて。こういうの僕嫌いなんですね。ですが、程度の問題なので、どこまで受け入れるかなんですよ。綺麗事とはここでは「好き嫌い」の話でして、一方でそれで相手が良くなるならありかなと。とはいえ、ここで脅せばいいのだとか、諦めると、自分も不快をつつかれる仲間になっていくと。これはまずいので、これも程度ですね。着地は悪いですが、正解はないです(笑)
ここまで考えるとですね、アイデア出しも結局ギター演奏みたいなものであると。それをやりたい、運動習慣を身に着けたい、ダイエットをしたい、禁煙をしたい。テニスがうまくなりたい。プログラミングが出来るようになりたい。なんでもそうです。って考えれば、やる気は大事ですが、やる気がない人を変えることはできないですから。「テニスをやりたくない人」でなく「テニスをやりたい人」に絞るのは明確です。
だから「アイデアを出せるようになりたい人」というのに絞らざるを得ない。ごくごく当たり前ですが、こうなるんですね。シゴトを作りたい人でも一緒で、シゴトをつくりたくないな、という人にはきついなと。もっともその解釈が色々あるのでどうなるかって感じですけど。明確になったのは確かです。
ある種の追い込みを使うのも手
なので、プレッシャーもピアプレッシャーという誰かがいて見られているかもくらいでいいと。自習室で勉強するとはかどるような、あの感覚です。仕事場にいるほうが周りが仕事をしている(ようにみえる)ので、捗るわけです。錯覚みたいですが面白いと。
なので、そういう意味でのコミュニティは有効だと思っていて、仲間とか場ですね、そこは大いに意味があると。ただそれは「学習を助力」するのであって、先にいう「やる気がないです」という人ではないんです。前提を外すと辛いなと。差別というか区別ですが、そこをしっかり見極めないとしんどいなと。
これ誰でもいいからやれるという言葉と真逆のようですが、誰でも出来るというのは、条件として「やる気がある」「興味がある」という前提なので、そこちゃんと書かないと駄目なんだろうなと思い始めてます。
小商いもそうです。誰でもいいよ=誰に効果がありそうか、便益になるか分かっていない証左ですからね。
学習であるといえばあとはコーチか、運営とかでカバー
全然できていないのですが、そういう試みとしてのアイデア出しのやり方を教えるということを出品しているわけですね。
一緒に考えるコーチみたいな人がいると。まあそれを僕がやろうと。仕組み化すればそういうコーチが広がるはずなんですが、ニーズのずれか、拾いきれないか、そもそも望んでいないかは定かではないです(笑)ですが、確実にいるのですが、どうもまだハマってないなあと。
これは僕の出し方も課題であろうし、または個人の力はたかが知れているので、粘りもまだまだかなと。というわけで、このあたりはどんどんやっていきたいですね。
セルフでやれる独学系は、不満出しのと、違和感発想ですね。
次にもうちょっとコーチっぽいくがっつりやるのが、こちらのサービスですね。
ここの間くらいが、コミュニティかもしれないなと。まあ全方位というのは、誰でもなく、やりたいなーともう人に対して僕の助力は惜しみませんから。それがどうかを判断する意味でもやってもらっても嬉しいですね。
このあたりもっと考えていきたいところですね。
やりたいのは、そのお客様が喜んでもらうこと、学習して学んでもらうこと、気づいてもらうことです。それで何ができるかは後付でいくらでも出来ると思っているので、それくらい強力だろうと、アイデアや企画を考えるスキルとはってことですね。
楽しくなってきますね!