ちょっと感じたことがあったので簡単に書いてみます
それは時間の効率化についてです。
とりあえず、効率化といっておけば「良い」わけでなく、当然ながら「意味がある」「有意義な」効率化を求めると。つまり1時間かかったのが10分で済んだ。嬉しいけど、単に10分で済んだだけなら手抜きで出来ると。でもそれを質が変わらず出来るなら素晴らしいと。まあそう簡単にいかないわけですけどね。
そこで、その時間を省略したいとして、守破離でいえば、守のレベルとして、これから量を積んで行く必要がある。違う言い方をいえば、粗くてまずは全体を見るべきなのに、全体を見るためにちまちまして進まないと。拙速は巧遅に勝るという言葉が好きですが、この逆ですよね。巧遅過ぎて全体が捉えられないというか。
ここで大事なのは、時間の効率化については、守破離の守のレベルで気にしてはいけないのではないかということです。つまりそこを学習していく意味があるというか。自動車の運転を習う場合に、何度も苦手なところをやるのは意味があると思いますが、全体のドライバー操作感(ルールも含めて)が見えてないのに、一生懸命カーブだけ練習している。でも、実際はカーブもですが、他の車の動きや認知、判断、操作というところで、操作以外がかなり大事で。
それをまず操作だといってやろうとしているのに、操作時間も省略してしまうか。または、操作だけやって、認知は他の人がやってねというくらい「トンチンカン」な感じがするんですね。
もう一度いうと、守破離の守なら、時間の効率化はガン無視で、まずは守たることを得るまで徹底的にやること。量でカバーであってその段階では質はないというか、その先にあるというところです。
これが出来ないとどうなるか?
守破離の守で、質を意識するために、学びが足りない、絶対的に圧倒的に学びの量が足りない。経験値が低いってことです。ここで効率化しても、「あれなんかアウトプットするんだけど質が低いかな」となると。
と書いていて、これって新しいことを始める時、そもそも誰もが体感することで、自分もそうです。そういう時、新しい知らないことを始める時は、まずはやってみての量を増やす。その後で整理されて学びに変わっていく。それが「やってみて分かること」であればあるほど、身体性って強いなと感じますから、量で体感するのは大事なんですよね。
というわけで、時間がないというとき、効率化したいのは分からないでもないです。ですが、その効率化って単に時間を減らすので、学ぶ時間を量を得る時間を、守たることを固めることをなくしているんじゃないか?
そうであれば、学べてないだけなので、守破離の守が突破できないわけです。そうなっているかもと思ったら、量でカバーしてみるという発想を入れてみるのも手ではないかなと。