夢中になること

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最近、『ライフチャート』なるものを作ってみました。
急ぎ作ったものの改めて見てみると、自分の場合は転勤の都度チャートが「どん底」にいってるな・・・と、会社の昼休みの間ニヤニヤしながら新たな気づきを得ていたところでした(そういや今の職場も昨年着任したときからしばらくは死んだも同然だったな、と思い出したり・・・)。いつまでたっても、転勤があるたんびに、こんなどん底を味合わねばならないサラリーマンって、なんかシュールだなぁ、とか、わけわからんことも空想したりしたひとときでした。

だんだん歳を重ねるにつれて、右肩上がりにはなっているようには見えるものの、まぁ前回のブログ(人生100年時代の生き方とは???)のとおり、どん底のどん底を味わいつつも、なんというか自分として胸張って心の底から「こんとき楽しかったんですぅ」といえる時代がないじゃないか・・・と、、、

これから頂点に向かっていくからいいじゃん、という考え方もありますが、それにしても本当に楽しかった、いや、充実していた、ってことなかったのかなぁ、、、って思ったんですよね。そしたらある日気づきました。。。
自分が作成したライフチャート、、、なんと20歳以前がない!(20歳以降からしかない!)になっていた・・・それ以前の人生については、まったく頭の中から消えていたという・・・
柔らかくて余裕がある頭になってないなぁ、今に精一杯なんだな、というのがなんか悲しくもあり、また一方で忘れていたことをある意味で「ふたつ」思い出させてもらえたことへの気づきもあり、ちょっとした作業であったことが、実に有益なものに転換されていたという前向きな気持ちにもなれたことはとても収穫でした・・・
さて、現時点ではありますが、自分のライフチャートHighは、実は15歳だったのかな、と。。。
そんなときに頂点極めたのか!と、自分で思い出した際には早熟すぎるマンゴーのような甘い気持ちに自分は勝手に包まれましたが、そのときなにがあったか、それがその後の自分の人生軸にどのように影響を与えてきたのかをちょっと書こうと思います。
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15歳=中坊ないしいちゃん。
自分の場合、田舎かつ前時代まるだしの男子全員坊主義務という、今から考えるとありえない中坊時代を送っておりました。でも、坊主であること自体にまったく抵抗感を感じていなかった自分=極限の集中状態=Zoneに入ってたな、って当時を振り返ると感じます。理由は具体的には2つ。。。

ひとつは勉強。まぁこんなこと書くべきことではないですが、学校内では成績は優秀でした。そりゃそうです。勉強してましたから(笑)ただ、いやいやではなかった、けど決して好きでもなかった。
なぜ勉強したか、というと、なんとなく普通の成績がとれた小学生時代から、中学生からはなんとなくではいかなくなるわけで、普通の成績を「維持=凋落させない」ために勉強してて、気づいたら成績優秀者になっていた、というだけなのです。ようは、’普通’から凋落したくなかっただけ。同時に、成績が伸びていくと自然と周囲が変にざわつきはじめます。今まで味わったことのなかった「その麻薬のような快感」に少年いしいちゃんはまんまと引っかかってしまったんですね(笑)

ふたつめ。こちらは本業(って勝手に思ってます)。部活です。自分は小さい頃からスポーツが好きで、当時のジャイアンツの中畑ばりのスポーツ刈りになんの違和感も感じることなく毎日のように野球やサッカーやドッチボールなど、なんやかんや外で遊んでました。特に真剣勝負が大好きで、公式試合になるとワクワクしたもんです。そんなもんで、中学の頃の部活(陸上競技)には徹底的にのめりこみ、もともと足が遅かったというコンプレックスを解消するためだけに入部したのに、練習といえば、ただ走り、筋トレするだけというシンプルすぎる競技でありながら、意味もなくのめり込んだのでした。とても単純な男です。
「陸上マガジン」とか買って、カール・ルイスとかベン・ジョンソンとか、ブブカとか、当時の世界一流の選手たちの動向を日々追っては楽しんでいた中坊生活でした。
そう、ここではじめて「楽しんでいた」が出てきました
そして、この楽しんでいた、というウラには、筋トレと走るだけのシンプルすぎるつまらない競技でありながらも、体の成長と相まって、練習をサボらず続けるだけで、ぐんぐん記録が伸びていき、前者と同様の‛周囲のざわつき’という「麻薬のような快感」にここでも引っかかっていたのでした。
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このふたつの「麻薬のような快感」を味わってしまったがために、気が付いたら信じられないくらいの充実感を得ていたのです。いま振り返っても、なぜあそこまでストイックに生きていられたのか、自分でもわかりません。今なら絶対やりません(笑)
*おかげでサブカルはめちゃくちゃ弱く、「show me」という女性歌手の歌が流行った時期に英語の授業で先生がその話を持ち出し自分が指され、普通に『「わたしにみせろ」ですよね?』と回答し、部屋中を爆笑の渦にしてしまったこともありました。天然君でした・・・

中坊ながら、このZone入る経験をした時期が、間違いなく今までの自分のライフチャートHighであると断言できます。サブカルは置いといて、本当に自分に集中しまくってましたね。だから「楽しかった」。
そして、このような時期に身につけたものは、いまでも自分を形作る無形の財産として残っています。それは「やればできる」という自信を持たせていただけたこと。その後の人生でいろんな人と交わる中で、それがなくなりそうになったり、たまにさぼってみたくなったり、いろんな変遷を経ていても、最後の最後にはこの「やればできる」が頭に浮かび、自分を凋落させないよう自分自身を無意識にコントロールしているように思えるのです。
だから、大人になった(おじさんになった???)今からでも、このZoneを経験する機会をもつことで、中坊時代とはまた違った新しい「無意識化における自分らしさ・軸」を手に入れることができるんじゃないかな、と思うようになりました。
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最近読んだなにかの記事に、「夢中になっている人」に「がんばっている人」は勝てない、というのがありました。本当にそうだよな、って思います。努力することを否定するわけではないですが、「夢中」とは、楽しみながらする努力ですから。。。「がんばる」ことに「楽しい」が加わって、きっと「夢中」になっちゃうんだと思うのです。人生における勝ち負けなんぞ無いものだと自分は本気で思ってますが、しいてこの件について言うならば、「夢中になっている人」には同じ土俵では勝てないよな、と思います。
これを組織に当てはめて考えてみると、社員すべてが「夢中」になれば、とんでもなく強い組織(会社)になるんだろうなと思います。そしてある意味、そういったことを表立っては目指しているんだろうな、とも思います。しかし、どうあがいても無理だとも思います。「夢中」というのは、社員の数だけ種類があると思うからです。ようは、組織は同じ方向を「向かねばならない」社員たちの集合体。でも社員の数だけ「夢中」があれば、そりゃ「同じ」=「ひとつの」方向、に向くことは、やはりムリがあるよな、と。
だから、組織では、特に日本の中の組織では、今までは「個」を出しすぎないことによって、「可能な限りの夢中状態」を作り出し、それによる競争力をつけていたのだろうと思うのです。
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さて、時代は令和。
中坊もすっかりおじさんになりました。「夢中」になることをまだ探している自分がいます。そして「夢中」になった暁には、それをどこにアウトプットしていくんだろうか、ということが、眠い目こすってブログ書いている今、ここで、頭にふっとよぎりました。
今までお世話になり続けてきた組織に還元することが、目の前にある分やりやすいし恩返しにもなるのでしょうけど、前述のとおり、組織はそれをそもそも論として受け付けることが難しいと思うのです。だったら、組織の外や組織の中でも同調してくれる方々だけに、一度実験的に出してみても良いのかもしれないな、と。
そして、このような令和時代だからこそ、これらのことに気づかせてもらえた「ライフチャート」なるものが自分の目の前に突如として現れたのかな、とも思ったりしました。
「計画された偶発性」だ・・・
気づいたら即行動に移して仮説検証を繰り返す。
それをやることで自分のライフチャートHighを更新することが今の自分に課せられた人生の命題だよな、と。
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そして忘れちゃならんのが、もはや中坊的モラトリアム期間にあるわけではないのだから、Highを更新するのなら、自分にではなく、周囲の人たちに向けてのHigh更新になるようしていかないとな、と・・・暑い、熱い夏の東京の朝、ふぅっと思ういしいちゃんでした。。。
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