「メンタルケア」のプロが抱えがちな辛さ

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コラム

今回のお話は、補完代替療法の療法士様に求める、私なりの「メンタルケア」の最前線に立っている方の実情についてしたためさせていただきます。

世界には多種多様な補完代替療法があり、誕生の歴史や経緯はそれぞれ違いますが、補完代替療法も現代医学もその出発点は同じです。

また、それぞれの療法に携わる療法士(セラピスト・カウンセラー・ヒーラー・コーチ・各種療術家)も、同じ種類の補完代替療法のプロフェッショナルであっても、性格や信条、技術やクライアント様に対する接遇のレベルなどには、当然ながら差異があります。
また、各療法の療法士になろうと決意したプロセスや動機も異なります。

そこで、今一度、次世代に求められる療法士様にとって共有したいことがあって考察したことを述べてみたいと思います。

私は「メンタルヘルス」に特化した補完代替療法に力点を置いてますので、その視点から「メンタルケア」は、実際の現場では、いきなり辛辣な話になるのですが、二つの思いに引き裂かれることが多い職業なのです。

例えば看護師や介護士にあたられるスタッフの方の考えてみますと、最近の社会医学では「感情労働」という言葉がしばしば用いられますが、ケアの仕事というのは「感情労働」の最も典型的なものの一つなのです。

「感情労働」という言葉を初めて聞いた方があるかも知れません。サービス業、セールスの方とかコンビニの方とか、そういう人たちはある意味で日々の語らいということがすごく大きな意味を持っていて、何かを得るだけではなしに、単に商売をするとか、ものを作るとかそういうことだけではない、プラスアルファの面が大きな意味を持っているのだと考えます。

ものを作るとか、売るとか、運ぶといった仕事は、感情はむしろあまり入れない方がスムーズにいくものですけど、ケアの仕事に代表されるような仕事は、フライトアテンダントの人、エレベータガールといわれる人たち、あるいは風俗産業の人たちとか似ていて、私的な関係にはないのに、相手に対して、まるであなたがたの専用の人というパーソナルプロのような顔をして、相手に対して自分が望ましい印象を持っているかのように、顔であるいは体で表現しないといけない。そういう職業の在り方を「感情労働」といいいます。

ケアはもちろんそうですけれども、顔つきであるとか表情であるとか、あるいは身体接触を伴うもので、しかも
「あなたに私は、絶対悪意を持っていない。むしろ好意を持っているのだ。あなたのことが心配なのだ。あなたに幸福になってもらいたいのだ」
というふうに言葉とかあるいは顔つきで接しなければならない、そういう労働なのですね。

こういう職業に於いては色々な対立の中に引き裂かれるものですけれども、一つは感情労働ということで、人間関係の相手、あるいはクライアント様、そういう人たちと感情的に交流が一方になければならない。あるいは共感と言ってもいいのですが、そういう心のふれあいとか接触、触れ合いが一方になければならない。と同時に、他方で職業として、つまりプロフェッショナルとして、決して相手の感情の中に巻き込まれて相手と同じようなものの見方をしてしまうのではなくて、ある距離をとってプロフェッショナルとして、職業人として、冷静で的確な判断をしなければならない。

これを一緒にやるのは大変なことです。

相手と、まるで家族のように、パーソナルプロのように感情を交わせつつ、且つ、ある距離を置いて、冷静な判断を、専門的な判断をしなければならない。だからケアというものは、感情を込めた世話という面と労働という面と、ある意味で両立し難いことを一度にやらなければならない。

こういう仕事の場合、特に一生懸命やればやるほど、よく言われる「燃え尽き」であるとか、「共感疲労」と言われるような辛さを抱え込まざるを得ないのです。

つまり、自分の仕事、特に感情的な共感などに自分を同一化し過ぎて、もう我慢ならなくなって、自分自身が辛くなってくる。苦しくなってくる。そういう感情の消耗が起こって、燃え尽きや共感疲労に陥ったりする。感情の方に深く入りすぎるのではなく、労働の方に深く入りすぎると、感情労働の感情の側面が嘘のように見えてきたりもする。

「私は結局、演技してるだけなのだ。あなたに対してもの凄く心配しているのだ。」あるいは、「あなたが悲しいように私もそれだけ悲しい。」というのは、実は言葉だけとか、演技だとかということで、自分は偽善的なことをしているのではないかと自分を責めることになる。

不誠実なことをしているのではないだろうか。自分は最後まで付きあう気はないのに、今、何か相手が抱え込んでいるものと全面的に関わっている。
自分も半分重荷を担ているという顔をしている自分に対して、執拗に責めたりするわけです。

誠実な人ほど、自分を咎めるということが起こってきて、自分に対しての強い否定的感情を持たざるを得なくなってきて、「私にこんなことをする資格があるのだろうかとか」というようなことを考えながら、日々の激務を続けないといけないものですから、くたくたになってしまって、仕事に就けなくなることも起こるわけです。

そういう独特な辛さ、二つの対立それぞれに引き裂かれる辛さ、そういうものを抱えているのが、この「メンタルケア」の現場の実情であったりするわけです。

そういう人が全てということではなく、もちろんそれでもケアに関わる仕事に就きたいと思われる方は、たくさんおられます。様々なリスクを抱えるのは承知の上で、多くの人が、こういう職業に自分はすすんで就きたいと思われるわけです。それには何かがあるからです。

ケアというものは、他人の苦しみの傍らにいる仕事であり、あるいは他人の苦しみを共に担う仕事であって、普通に考えれば楽しい仕事、あるいは喜びで満ちた仕事ではないのに、それだけ大変な仕事なのに、皆さんがそれを望まれるというのは、何かそこに意味があるからだと思うのです。

次回は、その意味について一緒に考えてみたいと思います。
最後までご高覧ありがとうございました。
(次回に続く)

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