こんにちは。
先日、『マチネの終わりに』の作者である平野啓一郎さんが唱える概念、"分人主義" という言葉に初めて触れました。
私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
作者:平野啓一郎
簡単に言うと一人の人間の中にはいくつもの人格(分人)があり、複数の人格の集合体が一人の人間であるということらしく・・・
自分の中にも、たとえば会社で見せている自分とか友人に見せている自分、親に見せる自分や子どもに見せる自分などがありますよね。
それらをすべて分けて「色んな人格が自分の中にはあるのだ」と考えるのが分人主義というものになります。
私たちは常に様々な人格を使い分けながら生活しています。
誰かと比べて落ち込んでしまう時も、誰かと一緒にいて前向きな気持ちになるときも。
ネガティブになりやすい人格(分人)がいて、それと同時にポジティブにもなりやすい人格(分人)が自分の中には共存しています。
そのバランスは人によってまちまちでしょうが、少なくとも「生きにくい」と感じている人の多くは、この "ネガティブになりやすい分人" の比率が大きくなっているのかもしれません。
「どうして自分はこんなにダメなんだろう・・・」とネガティブな分人が愚痴をこぼし始めた時、それを励ましたり温かく見守ったりしてくれる他の分人が必要になる場面が必ず出てきます。
そういう時に、愚痴をこぼす分人が "自分の全て" だと考えてしまうと、余計に「自分はどうしてこんなに卑屈な人間なのか」と落ち込んでしまうんです。
自分の中には分人AもBもCもたくさんいて「あ、今はAの状態なんだな」と思えることがネガティブな心を引きずらない秘訣になるのかもしれません(^^)
嫌いな分人を生きる時間が長ければ長いほど、人生は不自由になっていきます。
ただけして ”ネガティブな分人" がいちゃ悪いということではなく、それはそれでいないといけない場面もあります。
それがあるから問題点を認識出来たり成長につながるヒントを与えてくれたりもします。
ポジティブなだけじゃ現状に満足したり傲慢になってしまったりもしますよね。
どちらがダメとか良いとかではなく、そもそもどちらも必要な人格なので、大事なのはその構成を自由に選べることなんだと思うんです。
自分の好きな分人を好きな比率で生きられれば、どちらか片っぽの気持ちにずっと縛られることはなくなるでしょうから。
消してしまいたいような分人が現れたときは、それ以外の分人たちで温かく見守ってあげられるよう、俯瞰できる場所を心の中に作っておきたいものですよね(^^)