【プロ作家は絶対書かない】「意識が崩壊する」なんて言葉は存在しません。

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小説家志望の方の原稿を読んでいると、ある言葉が出てきた瞬間に、私の中でその原稿への期待値がぐっと下がります。

その言葉とは——「意識が崩壊する」。

ショックな出来事があった。辛い思いをした。そのときの主人公の状態を表現しようとして、「意識が崩壊する」と書いてしまう。賞レースの下読みの現場でも、コンサルでお預かりする原稿でも、こういった表現は驚くほど頻繁に出てきます。

なぜこの一言で期待値が下がるのか。

それは、「意識が崩壊する」と書く作家は、ほぼ確実に他のページでも同じような表現をしているからです。「思い出す」を「記憶の奇跡を辿る」と書き、「聞こえる」を「鼓膜を突き刺す」と書く。原稿を読み進めれば、得てして、そういう表現がいくつも出てきます。

少し考えてみてください。

みなさんはこれまでの人生で、「意識が崩壊した」経験がありますか?
おそらく、ないはずです。

「意識が崩壊する」というのは、認知科学や脳科学の領域の話であって、日常生活やフィクションの中で人間が経験する感情の話ではありません。失恋した、裏切られた、大切なものを失った——そういう場面で人間の意識は崩壊しません。傷つき、落ち込み、呆然とする。それだけです。

シンプルに「傷ついた」「落ち込んだ」と書けばいい。

それが凡庸に感じられるなら、「唇を噛んだ」と書いてください。「足元から崩れ落ちるような気分だった」と書いてください。そちらの方がよほど読者に伝わります。

今回の記事を読めば、少しずつ“伝わらない表現”は書かないようになっていきます。そしてその代わりに、本当に実践すべき、あなたにしかできない表現の正体に気づくことができるはずです。



「難しく書けば文学的になる」という幻想


なぜ作家志望の方は「意識が崩壊する」のような表現を使ってしまうのか。

答えは一つで、「凝った表現にすれば文学的になる」という幻想に支配されているからです。

難しい言葉、大げさな比喩、聞き慣れない言い回し——それらを使えば使うほど、自分の文章が「格上げ」されるような気がしてしまう。これは書き始めの方に、ほぼ共通して見られる「表現欲」です。

ただ、それは自己満足です。

そして新人賞の下読みをしていてはっきりしたのが、この「表現欲」が最も暴走しやすいのが、冒頭であること。冒頭は書き手が最も力んでしまう場所であるがゆえに、「表現欲」が先走り、かえってよくわからない表現が集中しやすいのです。

では、どのようにすればよいか。

答えは超シンプルです。

凝った表現をやめて、わかりやすい表現への言い替えを心がけてください。
少しこの「言い替え」のテストをしてみましょう。



練習問題——あなたは全部正解できますか?


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いくつか例文を考えてみました。以下の【 】の中の凝ったor難しい表現を、わかりやすく言い換えてみてください。4問正解で満点です。

① わたしは彼に、例の人物に関して何か知らないかと言われ、【思索を這わせて】みた。

② 手紙は、漫画の新人賞の落選通知だった。それを読んだ瞬間、【世界が闇を帯びた】。

③ 「いい音楽じゃん」と、イヤホンを外し、しゃがんでいた私が言う。すると欄干に寄りかかっていた彼は「だろ」と【言葉を降らせた】。


――いかがでしたか?

解けたら、続きをお読みください。模範解答は以下となります。


① 【思索を這わせて】→「考えて」or「思い返して」
② 【世界が闇を帯びた】→「目の前が真っ暗になった」
③ 【言葉を降らせた】→「言った」
④ 【現実の輪郭が帯びた】→「(結婚の)実感が湧いた」

言い換えてみると、元の表現がいかに「伝わらない言葉」だったかがよくわかります。ニュアンスが合っていれば正解です。「この回答はどう?」などあれば、コメントでお気軽にどうぞ。



文学的表現の一歩目とは?


ここまで読んで、「じゃあわかりやすいだけの平凡な文章が至高なの?」と思われた方がいるかもしれません。

もちろん、そうではありません。

特に純文学において、佐々木中だったり、町田康だったり、難しい語彙を軽やかに運用し見事な小説を作り出す人々だっているわけです。

ただ難しい語彙はやはり扱うのも難しく、誰でも簡単に操縦できるものではありません。

そして、難しい語彙をぶん回さずとも新人賞は獲れます。これは、純文学、大衆文学、ライトノベル、すべてに言えます。

そう。

大切なのは崇高な文学的表現ではなく、誰でもできる文学的表現の一歩目なのです。

それは具体的にいうと、

「わかりやすい言葉×意外な組み合わせ」

です。

難しく着飾った言葉ではなくて、誰もが知っているような言葉でも、組み合わせ方次第でオリジナリティーのあふれる表現に変わります。

そしてそれらは、ちゃんと意味が伝わりながらも、読者を少しだけ遠くへと連れて行ってくれる。わかりやすいのに、見たことのない景色を見せてくれる。そういう表現になっているんです。

例えばファッションでも、ハイブランド(大げさな表現)で記号的に武装している人より、シンプルな服のアイテム(平易な表現)を、色味やシルエットを意識しながら組み合わせる方が「おしゃれ」「洗練されている」という印象を与えると思います。

つまり、センスは物自体にあるものではなく、
物の組み合わせの"あわい"に宿るのです。



プロ作家の「文学的表現の一歩目」を見てみる


純文学|『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)

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山崎ナオコーラ著『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)の冒頭では、失恋の痛みを引きずる主人公の青年がバスを待っています。そして、未練のある女性・ユリのことを思い出す。

あの、笑ったときにできるシワはかわいかったな。手を伸ばして触ると、指先に楽しさが移るようだった。

「指先に楽しさが移るようだった」——難しい単語は使われていません。でも、組み合わせ方によって、読んだことのない表現になっています。

「楽しさ」という感情は普通、心の中に去来するものです。それを「指先」という末端の身体部位と組み合わせることで、読者まで指先に幸福な感触を追体験できる。つまり、ちゃんと意味が伝わりながらも、読者を少しだけ遠くへと連れて行ってくれる。

このように、文学的表現に、難しいことは何一ついりません。易しい単語をあなたなりに並べ替えるだけでいいのです。それが、あなたの本当の文章センスなんです。

これが「軽いバットで遠くに球を飛ばす」表現です。

そして、少しスピリチュアルに感じられるかもしれませんが、こうして正しくバットを振り続けていくと、ふと、テクストの方から質感のある(着飾った/難しい)言葉が歩み寄ってくるーー。

唇もマフラーも指先も乾いているが、空気の乾きを感じることができるオレは、本当は湿った生き物だ。腹の中にはたんまり水がある。心だって重く湿って、温かいんだ。「人間って素晴らしいな」と、ばかみたいなことを考えながら、バスを待っている。

「たっぷり」でも「いっぱい」でもなくーー「たんまり」。

この少しだけ間の抜けたような語感が失恋の悲壮感を中和し、主人公の体温を読者に伝えてくれます。



平易な言葉の組み合わせでも、痒いところに手が届くような感情の掬い上げができるんです。

「心だって重く湿って、温かいんだ」という結びがまさにそう。失恋をただ嘆くのではなく、痛みの中にある生の実感として描いている。

審査員の高橋源一郎はこのタイトルと冒頭を読んだだけで、この年の文藝賞受賞作はこれだと確信したそうです。


あなたが憧れる難しい語彙や表現は、きっとあなたのレベルがそこに達したときに向こうから歩み寄ってくるので、それまでは大人しく、正しくバットを振り続けましょう。


大衆文学|『テスカトリポカ』(KADOKAWA)

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直木賞を受賞した佐藤究著『テスカトリポカ』(KADOKAWA)も見てみましょう。

あの町で育つうちに、心臓をえぐり取られたように胸に空いた穴、もうその穴を埋めることはできないし、埋めようとも思わない。だったら私は、もっと空っぽに近づきたい。

「心臓をえぐり取られたように」~「もっと空っぽに近づきたい」まで平易な言葉しか使われていません。途中から言葉遊びが始まり、抽象的な次元が立ち上がる。それでも、わかりやすさは手放さない。

普通の描写であれば、心理的な穴は「埋めたい」か「諦める」となるでしょう。しかしこの主人公は第三の方向へ進む——そう、もっと「穴」に「近づきたい」。

組み合わせているのは、異質な言葉の論理です。

「欠損」×「それを深める意志」=あえて喪失へと向かっていく人物像

この一文によって、読者はこの人物が単なる被害者ではなく、能動的に壊れた何かを生きていることを理解する。そして、どういう人間なのかを知りたくなる。冒頭として、これ以上ない人物提示です。


ライトノベル|『恋に至る病』(メディアワークス文庫)

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斜線堂有紀著『恋に至る病』(メディアワークス文庫)にはこんな一節があります。

突然この世界に席が用意されたような気分だった。全身を呑み込んでいた緊張と恐れが波のように引いていき、ざわめきが耳に入らなくなる。

「この世界に席が用意された」という表現。難解ではないのに、主人公の感覚が鮮やかに伝わります。「居場所を見つけた」という凡庸な表現を、平易な言葉の意外な組み合わせーー「世界」×「席」によって言い替え、オリジナリティーを醸し出すことができています。



【おまけ】ただし文章が「正しくなくても」受賞する小説がある


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第9回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞した『スター・シェイカー』という小説があります。この作品には「背筋を、理解が這い上った。」というような"文学的"な表現が連発します。

私自身、背筋を理解が這い上がった経験はありませんし、正直なところ、この作家の文章は難しく着飾っており、体に馴染みませんでした。もっと言葉を選ばずに言うと、読み進めるのが辛いほど文章が拙いのです。


それでもこの小説は受賞しました。


文章表現の正しさとは別のところに、選考委員や編集者を動かすだけの力があったからです。どれだけ文章が荒削りでも、それを補って余りある「合理的な何か」が小説の中にあれば、賞レースでは評価される。これが現実です。

では、その「合理的な何か」とは何か。編集者が文章表現よりも本質的に大事に捉えているものは何か。

それはすべて、ご好評いただいている「新人賞攻略ブログ(エンタメ小説・ライトノベル編)」に詰め込みました。いずれ純文学編も制作予定です。


ぜひ古宮悠と一緒に、創作の深淵を掘り下げていきましょう。



まとめ


大げさな表現や凝った表現が癖になっている方は、
今すぐそれをやめてください。

伝わることが最優先。
わかりやすい言葉ではっきり意味を伝えてください。

その次に、平易な言葉を意外な組み合わせで組み立てる、そういう意識を持ちましょう。

必要なのはこういった、文学的表現の一歩目だけ、です。



あなたにしかできない表現は、
難しい言葉の中にあるのではなく、
平易な言葉の組み合わせの中に宿ります。



今後もこのように、下読みやプロの現場から見えるリアルをお伝えしていきます。フォローして、次の記事もお見逃しなく。



古宮悠


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