新人賞の応募原稿を読んでいると、冒頭の数行で「ああ、またこのパターンか」と感じる瞬間があります。
下読みというのは、膨大な数の原稿を短時間で読む仕事です。当然、入り口となる冒頭に対する感度は研ぎ澄まされていきます。そしてある時期から、応募原稿の冒頭には「型」があることに気づきました。
型にはまった冒頭は、それだけで原稿の印象を下げます。その先の内容が良くても、「この人は他の作品をあまり読んでいないのかもしれない」という印象を与えてしまう。それは非常にもったいないです。
今日は、下読みとして頻繁に目にする「ありきたりな冒頭」のパターンを3つお伝えします。思い当たる節がある方は、ぜひ冒頭を見直すきっかけにしてください。
1.朝の起床シーン
おそらく最も多いパターンです。
カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。目覚まし時計が鳴る。主人公がゆっくりと目を開ける——。
なぜこのパターンが多いのか、書き手の気持ちはよくわかります。「朝の起床」は文字通り「始まり」を象徴するシーンだからです。物語の冒頭に「始まり」のイメージを置きたくなるのは、ごく自然な発想です。
ただ、下読みの立場からいうと、この冒頭は「この作品は他の無数の作品と同じ入口から始まっている」というシグナルに他なりません。
そもそも、物語の「始まり」は必ずしも朝である必要はありません。夜中の3時でも、昼下がりでも、時間軸すら曖昧な場所でも、物語は始められます。「朝の起床」という冒頭が選ばれているとき、それはほとんどの場合、その作品ならではの必然性からではなく、「書き始めやすいから」という書き手の都合から選ばれています。
読者にとって、冒頭の数行は「この作品の世界はどんな質感を持っているか」を判断する場所です。朝の光とともに目覚める主人公というイメージは、残念ながらその判断材料としてあまりにも手垢がついています。
2.誰かを殺す、あるいは自殺のシーン
次に多いのが、冒頭から死のシーンで始まるパターンです。
誰かが殺される。あるいは主人公が自ら命を絶とうとしている。血が流れ、息が止まる——。
書き手の意図はわかります。「冒頭から読者を引きつけなければならない」というプレッシャーの中で、最も手っ取り早く「劇性」を担保できる方法として、死のシーンを選んでしまうのでしょう。確かに、人が死ぬシーンはそれだけで緊張感を生みます。
しかし、下読みの目線から見ると、この冒頭は「劇性への安易な依存」として映ります。
冒頭から死のシーンに頼らなければ読者を引きつけられないとしたら、その後の物語はどうやって読者を惹きつけ続けるのか——そういう疑問すら下読みに抱かせてしまいます。もちろん『虐殺器官』など、テーマやストーリーへの必然性(主人公のトラウマ)から、死のシーンで始まるというのであれば、ハンデを跳ね返すほどの強度になります。
ただ、劇性というものは、積み重ねの末に爆発するから意味を持ちます。冒頭から最大火力を出してしまうと、その後の物語がどこへ向かうのかが見えにくくなります。
3.体液・血液などの描写シーン
3つ目は、冒頭から体液や血液、あるいは性行為の描写で始まるパターンです。
おそらく「なんか文学っぽい」からでしょう。生々しい身体描写、グロテスクなリアリティ——それが文学的な深みと結びついているという誤解が、このパターンを生んでいるように思います。
確かに、すぐれた作品の中には、身体や生理的な感覚を鋭く描写した作品が多くあります(窪美澄『ふがいない僕は空を見た』、千葉雅也『デッドライン』など)。ただ、それらの作品において身体描写が輝いているのは、それが物語のテーマや登場人物の内面と深く結びついているからです。描写そのものに意味があるのではなく、その描写が物語の中で機能しているから意味を持つ。
冒頭からの体液・血液描写は、文脈のない状態で読者の前に置かれます。それは「生々しさ」ではなく、ただの「不快感」として受け取られるリスクが高い。下読みも人間ですから、読み始めた瞬間に不快感を覚えれば、その原稿への印象は当然下がります。
性行為のシーンで始まる作品も同様です。それが作品のテーマと不可分であるならまだしも、「冒頭から印象づけたい」という書き手の意図が透けて見えるような性描写は、むしろ逆効果になります。
では、どんな冒頭が良いのか
下読みが膨大な原稿を読む中で無意識に問い続けているのは、「この冒頭は、この作品にしかない冒頭か」ということです。
あなたが思いついた冒頭のアイディアは、今この瞬間、他の何千人もの作家志望の方も同じように思いついている可能性があります。そのアイディアが「書きやすい」「劇的に見える」「文学っぽい」という理由で選ばれたものなら、なおさらです。
処方箋として、ひとつだけお伝えします。それが純文学でもエンタメでもラノベでも・・・
既存の優れた作品の冒頭を、意識的に読んでください。
村上春樹の『ノルウェイの森』は「僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた」という一文で始まります。川上未映子の『夏物語』は「その人が、どれくらいの貧乏だったかを知りたいときは、育った家の窓の数を尋ねるのがてっとりばやい」という、どこか独特な主観の提示から始まります。カフカの『変身』は「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。」という一文で読者を別世界へ連れていきます。
これらの冒頭に共通しているのは、その作品にしかない固有の質感があるということです。別の作品に差し替えることができない。
自分の作品の冒頭を書く前に、まず好きな作品の冒頭を10作品分書き出してみてください。そしてその冒頭がなぜ機能しているかを考える。それだけで、冒頭に対する解像度が大きく変わります。
そして、固有性を意識できたら今度は、その上で「続きが読みたくなる何か」をその冒頭に持たせる。
例えば、ライトノベルにおいて、こんな冒頭の文はいかがでしょう。
隣のクラスの委員長が、放課後の教室で魔法陣を描いていた。
場所も人物も状況も一文で揃い、「なぜ」という疑問だけが残る。説明ゼロで物語世界に引き込めていると思いませんか?
そして、「放課後」というエモーショナルな雰囲気も相まって、続きを読みたくなります。
冒頭の数行は、その作品の「顔」です。下読みに「また同じ顔だ」と思わせないために、自分の作品にしかない顔を探し続けてください。
今後もこのように、下読みの現場から見えるリアルをお伝えしていきます。
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古宮悠