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「カズ、北沢落選!フランス大会の後悔(;;」

くやしかった?「フランス大会」じゃ。そう日本サッカーの悲劇じゃ。最後の最後で悲願の「ワールドカップ出場」にあと一歩いや、あと「1ミリ?」で「手」にしていたハズのチケットじゃった、当時の「カズ」と「北沢」じゃ!何かふと思い出したので、記事にしてみたのじゃ。ま、その前に「ドーハの悲劇」という「ドラマ?」があったけど、「1994年ワールドカップ/アメリカ大会」にあと、本当にあと一歩、いや半歩?いや0.1歩?というほどの「得失点差」で「韓国」が出場権を獲得し、「日本」は「得失点差」で悲願達成ならずで「ドーハの悲劇」となったのじゃ。その反面「韓国」は「ドーハの歓喜?」となったのじゃ。もし「日本」が「イラク」にあのまま「2-1」で勝っていれば、そのまま「得失点差」なんて関係なく、「韓国」を蹴飛ばし?「初出場」であったのじゃ。今でも、「くやし~ですっ!」ま、あの「ドーハの悲劇」の「戦犯?」はダレなのか?というのは、ボクからしたら「存在はしない!」のじゃ。「オフト監督」も最高であったし、選手全員が「当時のパワー全開?」で「初出場の緊張感とプレッシャー」の中で、良く頑張ったと思う。だって、ほんの数秒前まで「これならイケル!」とミンナが確信していたのじゃけど最後の「イラクのコーナーキックの1プレイ」が「ゴールへのキック」ではなく、「コーナーからのパス」という「意表を突いた作戦?」じゃった。あのまま「日本」に負けても「同点」でも「イラク」には「出場権」は、無かったのにじゃ。でも、「イラク」としては最後の最後に「日本」と「同点」で「面目」は立ったのじゃ。そう、「イラク」には「負け?」ではなく「同点」で
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♪ワスレタコロニ トビラヒラク?

※ これまた前編の続き。♪得意気というのも妙ですが、胸を張って(?)彼に報告しました。 「投稿から半年過ぎたのに、ウンともスンとも言ってこないだろ?」   目を通す価値もなかったのだろうと、筆者はサバサ4バしていました。 その後も執拗に執筆を薦める彼を黙らせるべく、 「じゃあ1回だけ応募して落選したら、納得して引き下がってくれるよな!?」 ごていねいに彼が探してきてくれた数千文字の短いエッセイコンテストが、筆者人生初エントリーとなりました。 公募情報をまとめた月刊誌のとあるページに印を付け、差し出してくれたのを覚えています。ですがこの時点では知りませんでした。文筆のコンテストは締切後の審査期間が長く、結果発表が半年から1年先も当たり前だということを。 それから今思い出したのですが、当時はまだ原稿を郵送する応募スタイルが主流で、A4サイズの封筒を郵便局まで持参したかと?♪これを機に疎遠となり始めた彼との距離感でしたが、それも一期一会? 旧交を温め合えたことだけでも、当時の筆者には大きな元気の素でした。 ★ 大きくなあれ年が明けた2006年の寒い時期、梅田の地下街を徒歩移動中だった記憶が、16年以上経過した今も鮮明です。 ポケットの中の傷だらけのローラ(懐)ならぬガラケーが、着信音を発しました。 当時はようやく液晶画面もカラーとなり、静止画像限定でネットが見られるようになった頃? 「◆◆出版と申します。この度は応募ありがとうございました……」 俄にはなんのことやら思い当たらず、しばらく話を聞いているうちに、 「わざわざ今頃になって電話で落選通知とは、なんともごていねいな……」 とこ
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