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不平不満を言わずには生きられない

 本日は、いくつか聖書の物語から例を出そうと思います。でも、聖書に詳しくないかたにも通じるように書きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。『「甘え」の構造』の著者である土居健郎(どい・たけお)と、牧師でNPO法人「抱樸(ほうぼく)」理事長の奥田知志(おくだ・ともし)さんの大きな影響下にある文章だと思いますが、だいぶ私のなかでこなれて自分の言葉のようになっています。 聖書には、不平不満を言う人がたくさん出て来ます。例として、マルタとマリアの姉妹の話を挙げます。この姉妹は、弟のラザロが復活するときにも出て来ますが、今回、引用するのはそのときの話ではなく、新約聖書ルカによる福音書の10章38節以下に出る短い話です。イエスがマルタとマリア姉妹のところへやってきます。マルタはおもてなしで忙しく働いていました。マリアはイエスの足もとに座ってイエスの話を聞いているだけ。マリアはイエスにこう言います。「主よ、妹は私だけにおもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」。それでもイエスはマリアをえこひいきすることをやめないのですが、このイエスのえこひいきは置いておきましょう。彼は神様ですから、誰をひいきしても自由なはずです。そして、このマルタのせりふは、明らかにイエスに不平不満を言っています。「マリアずるーい!」と言っています。しかし、マルタは自分が不平不満を言っているのを自覚していないだろうと思います。不平不満って、無自覚的に出るものですからね。マルタは自分が正当な主張をしていると思っているだろうと思います。理不尽な目にあっている
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