絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

1 件中 1 - 1 件表示
カバー画像

『普通』に縛られないで

先日、友人に会ってまいりました。多くの辛い出来事を経験し、今なおその傷と向き合っています。心の病を抱え、その中で懸命に仕事を頑張っています。心理セラピーをしてみようね、と約束していました。しかし、ほんの少しセラピーを行い、多くの時間は心の声を聴かせてもらいました。彼女の痛みを知ることが重要だと感じました。笑顔を見せ、自分の感情を抑えながら話してくれました。たくさん自分を見つめ直し色んなことを考え、これまでの理不尽なことを、もう許そうとしています。約1年ぶりの再会。ずいぶん葛藤してきたのだなと感じる変化がありました。しかしその葛藤は、自分を責め犠牲にすることが根底に。あぁ、これでは苦しかろう、心が塞がることだろう、そう胸が痛みました。心の病になった自分を責め、人を恨んだ自分を責め、憧れるように生きれていない自分を恥じ。「母親がね、普通になってって言うんだよね」淡々と言い、その後息を詰まらせポロリと涙が。精神科に通う娘に投げられた言葉はもう一つ。「気の持ちようなのよ」錆びた矢じりで彼女を刺す。『気の持ちよう・捉え方次第』なんと無慈悲な言葉だろう。突き放し見下し、そして責める言葉です。たとえそれが真実だとしても、そこに救いはない。そんなことは本人だって何度も考え、その度に自分を責めてきたのだから。「普通って何だろう」二つ目の涙は、こぼれる前にハンカチに拭われます。もしも、「普通でない自分」と悩む方がいらっしゃるならば、よくご自身に言い聞かせてください。「普通の人などいない」普通とは何ですか?誰が統計を取るのですか?全世界の人間を対象としたものですか?そこにどんな価値があるのですか?あ
0
1 件中 1 - 1
有料ブログの投稿方法はこちら