「医療の不確実性」金沢医科大学医学部2020年2月14日実施
(1)問題① 山本周五郎作の「赤ひげ診療譚(しんりょうたん)」に,「大機里爾(タイキリイル)」に関する挿話がある。東京·小石川の養生所の医師である「赤ひげ」こと新出去定(にいできょじょう)と,その弟子である保本登(やすもとのぼる)の,末期の膵がん(膵臓がん)患者の診察に際してのやり取りである。② 「これは大機里爾,つまり膵臓に初発した癌腫だ」と去定が云った,〔略〕③ 「ない」と去定は嘲笑するように首を振った,「この病気に限らず,あらゆる病気に対して治療法などはない」④ 登はゆっくり去定を見た。⑤ 「医術がもっと進めば変ってくるかもしれない,だがそれでも,その個躰のもっている生命力を凌ぐことはできないだろう」と去定は云った。「医術などといってもなさけないものだ,長い年月やっていればいるほど,医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ。病気が起こると,或る個はそれを克服し,べつの個は負けて倒れる,医者はその症状と経過を認めることができるし,生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる,だが,それだけのことだ,医術にはそれ以上の能力はありゃしない」⑥ さて,新出去定が吐露した所感とほぼ似たような感覚を,現代の医師たちもしばしば抱くことがある。⑦ 現代の医学は膵臓の解剖も生理もおよそ知り尽くしている。しかしいまだに膵がんを早期発見することはできない。「赤ひげ」の時代に比べれば,膵がんに対するわずかに有効な治療はいくつか開発されている。しかし有効な治療といっても,万人にではなく一部の患者にしか効果がない。しかも効果があるかどうかは,たいていの場合,治療をしてみないとわからない。
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