同調と共鳴
昨日の記事を書いていて、「同調」という言葉が浮かんだ。「みんなと同じように感じる」「みんなと同じように反応する」集団から外れることへの不安から、同調しなければという癖がある気がした。どこかで、私自身の感覚を置いてきぼりにしていたのかもしれない。私は子どもの頃から、「普通にして。」と言われることが多かった。何が普通なのかよくわからないまま、周りに合わせることを覚えていった。そうすれば間違わないと思っていた。だから私は、自分の感覚よりも、周りに意識を向けるようになった。でも、それを続けていると、少しずつ私の輪郭が薄くなっていった。世界がぼんやり見えていた理由も、そこにあったのかもしれない。最近、少しずつ、自分のネガティブな気持ちも含めて「ある。」と言えるようになってきた。嫌な感情も、嬉しい感情も、全部、私から湧いてきたもの。そう思えるようになって、自分を感じていると、自然と人との繋がりを感じられるようになった。そこで気がついた。私が求めていたのは、「同じになること」じゃなかった。違うまま、響き合うことだった。楽器は、みんな同じ音を出さない。違う音色だからこそ、重なった時に美しい。人も同じなのかもしれない。自分の音を消して合わせることは、同調。自分の音を持ったまま響き合うことは、共鳴。最近は、「変わる」というより「還る」という感覚がある。新しい自分になるんじゃなくて、ずっと鳴っていた自分の音に、もう一度耳をすませているだけなのかもしれない。───────答えを出すというより、一緒に「ほんとの気持ち」を見つけていく時間が好きです。
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