期待したくないのに、少しだけ心が動いてしまうことはありませんか
導仁です。一日の終わり、ふとした瞬間に。自分でも驚くくらい、心がわずかに揺れることがあります。その人の名前を見かけたとき。何気ない一言を思い出したとき。似たような場面に出くわしたとき。「期待したくない」と思っているはずなのに。何もないふりをしていたはずなのに。ほんの少しだけ、胸の奥がざわっとする。その揺れを、見なかったことにしたい夜があります。期待したくないとき、私たちはたいてい、もう傷つきたくないのだと思います。過去に、がっかりした経験があるから。一人で勝手に盛り上がって、あとから寂しくなったことがあるから。「どうせ何も始まらない」と分かっているから。だから、心が動きそうになると、慌ててブレーキをかけます。勘違いしたくない。重くなりたくない。相手にも、自分にも、迷惑をかけたくない。そのブレーキは、自分を守るための大事な機能でもあります。でもその一方で、ブレーキを踏みながらも、少しだけアクセルに触れてしまう瞬間がある。「この人と話すのは、やっぱり楽しいな」と感じてしまうとき。「またあの空気を味わえたらいいな」と、ふと願ってしまうとき。その気持ちを完全に消すことは、なかなかできません。ここで大事なのは、その揺れを「ダメなもの」と決めつけないことだと、私は思っています。期待したくないのに心が動くのは、決して弱さではなく、それだけ人や出来事に、ていねいに向き合っている証でもあるからです。「期待したくないのに」という言葉の裏側には、相手を縛りたくない気持ちや、自分を追い込みたくない気持ち、未来にがっかりしたくないという、とても真面目な優しさがあります。「期待しないほうが楽だ」と分かって
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