導仁です。
一日の終わり、ふとした瞬間に。
自分でも驚くくらい、心がわずかに揺れることがあります。
その人の名前を見かけたとき。
何気ない一言を思い出したとき。
似たような場面に出くわしたとき。
「期待したくない」と思っているはずなのに。
何もないふりをしていたはずなのに。
ほんの少しだけ、胸の奥がざわっとする。
その揺れを、見なかったことにしたい夜があります。
期待したくないとき、
私たちはたいてい、もう傷つきたくないのだと思います。
過去に、がっかりした経験があるから。
一人で勝手に盛り上がって、あとから寂しくなったことがあるから。
「どうせ何も始まらない」と分かっているから。
だから、心が動きそうになると、慌ててブレーキをかけます。
勘違いしたくない。重くなりたくない。
相手にも、自分にも、迷惑をかけたくない。
そのブレーキは、自分を守るための大事な機能でもあります。
でもその一方で、
ブレーキを踏みながらも、
少しだけアクセルに触れてしまう瞬間がある。
「この人と話すのは、やっぱり楽しいな」と感じてしまうとき。
「またあの空気を味わえたらいいな」と、ふと願ってしまうとき。
その気持ちを完全に消すことは、なかなかできません。
ここで大事なのは、
その揺れを「ダメなもの」と決めつけないことだと、私は思っています。
期待したくないのに心が動くのは、決して弱さではなく、
それだけ人や出来事に、ていねいに向き合っている証でもあるからです。
「期待したくないのに」という言葉の裏側には、
相手を縛りたくない気持ちや、自分を追い込みたくない気持ち、
未来にがっかりしたくないという、とても真面目な優しさがあります。
「期待しないほうが楽だ」と分かっていても、
好きになったり、楽しみにしたりする心そのものまで、
完全に消したいわけではない。
だからこそ、心が少し動いたときに、
その動きをどう扱えばいいのか分からなくなるのだと思います。
もし今夜、あなたの中に
「期待したくないのに、ちょっと嬉しい」
「何もないはずなのに、気づくと考えている」
そんな揺れがあるなら。
それを今すぐ行動に移さなくても構いません。
今はまだ「心が動いた」という事実だけを認める段階で、十分だと思います。
期待しないようにするか、何も感じないふりをするか。
その二択だけが、唯一の選び方ではないはずです。
今日、できることはもっと小さい。
心が動いた自分を「ダメだ」と責めずに、
「こう感じる自分もいるんだな」とただ気づいておく。
明日どうするかは決めず、今日はそのままそっと置いておく。
そんなふうに、感情を結果に結びつけずに扱ってみること。
それは、誰かに向けた期待を育てるというよりも、
自分自身の心との距離を、やわらかく保つための練習です。
期待をゼロにすることが、いつも正解とは限りません。
同じくらい、期待を膨らませすぎないことも、大切なバランスです。
期待したくないのに、少しだけ心が動いてしまう夜は、
自分の中の「大切にしたいもの」が顔を出す夜でもあります。
その大切さを、急いで形にしようとしなくていい。
「こうなってほしい」と願う未来を描く前に、
「こう感じている自分がいる」という現在だけを、
ていねいに見つめる時間があってもいい。
その余白を残しておけるとき、
期待は暴走ではなく、静かな希望として、そこにいてくれます。
期待したくないのに、少しだけ心が動いてしまうことはありませんか。
その揺れを、責めるのでも、急かすのでもなく。
今夜だけはそっと抱えて眠る選び方が、
あってもいいのだと思います。
導仁より。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もし今、誰かに話してみたいと思うことがあれば、ココナラに小さな相談場所を用意しています。
整理できていなくても、言葉にならなくても、大丈夫です。