王であるキリストとは。
キリスト教では、プロテスタントでも、カトリックでも、『キリストは、100%神であり、同時に100%人間でもあられる。』と理解されています。
キリストは一度人間としてお生まれになったので、肉体をまとった人間の弱さをよくご存知で、人間の弱さに理解があり、寛大なお心で人を赦してくださいます。
また、キリストは、神でもあり、王でもあり、それでいてなお、わたしたちの親しい友達でもあられます。
カトリックでは、『王であるキリスト』という言葉や主日があるのですが、キリストは、一般的な地上の王とは、大きく異なった王であられます。
これまで多くの方が見たこともない王の姿が、聖書に描かれています。
力で威圧や抑止をしない王。
剣(武器)を捨てる王。
一番低い身分までへりくだられた王。
弱くされた人に優しい王。
自分を守るために誰かを犠牲にするのではなく、真っ先に自分が十字架刑にかかられた王。
王という漢字を見てみると、主(しゅ)という漢字によく似ています。
僕は漢字学者ではないので、これがどのような意味を持つのか分からないのですが、王も、主も、キリストによく合った漢字のように感じます。
キリストは、権威や力で人を癒すのではなく、自らの傷で、人を癒してくださるのかもしれません。
命まで捨てられたイエスさま(キリスト)の深い傷と苦しみが、わたしたちを深く、癒してくださいます。
キリストがもし精神科医療者だったら、どのような治療をなさるでしょうか。入院治療はどのようでしょうか。通院治療はどのようでしょうか。もしかしたら、キリストが精神科医療者だったとしたら、医療者であることを放棄して、イエスさまも、精神
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