モルモンの宣教師に救われる
長らくキリスト教のことは忘れていた。いや、蓋をしていたと言った方が正しい。逃げていたともいえる。間違った行いや考えを、罪と分かりつつ平然と犯していた。(その点では全く知らずにいた方が罪は軽いとも言える)でも、若い時に得たクリスチャンとしてのアイデンティティーはそうそうたやすく消えるものでもない。どこに行っても何をしていても、聖句が思い起こされて自分を苦しめた。妻と別れて10年間。罪の意識はわたしを苦しめた。聖書は「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」と述べている。イエスも、「神が結び合わせたものを、人が離してはなりません」と言っている。 だから、離婚には多大なる痛みが生じるのだ。それを身をもって体験した。聖書の言葉はまことに正しかった。北海道に帰ってきて、街はずれの小さなグループホームの管理者の仕事を見つけた。いろいろと大きな仕事をしてきたから、このくらいの仕事の方が自分に合っていると思った。そこで思いがけず、路傍の小さな花を見つけた。わたしはその人に恋をし、ほどなくお付き合いが始まった。彼女も離婚歴があり、自分の気持ちもわかってくれるだろうと思った。彼女には2人の娘がいた。2人が成人したら、結婚しようと固く約束した。 2年がたって、娘たちは無事に巣立っていった。そして、わたしたちは入籍した。幸せだった。式は挙げなかった。2人とも再婚同士なのでなんだか照れ臭かったからだ。2人が固く結ばれていればそれで良いと思っていた。1LDKの新築の物件を探してきて、同居生活が始まった。ちょうどわたしはそのグループホームを退職し、友人に誘われてデイサービスの立ち上げ
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