他人と私が釣り合うのは
支配されることは、安心できることです。支配することも、安心できることです。常識的に考えれば、どちらも嫌なものです。でも実際には、お互いに引き合います。なぜか。安心の正体人は幼い頃、誰かに従うことで安全を得ることを覚えます。親の顔色を読み、期待に応え、怒らせないように、喜ばせるようにする。それが「安心」の最初の形です。従う側だけではありません。従わせる側も同じです。誰かをコントロールできている間は、自分の不安が見えにくくなります。支配する側と支配される側は、対立しているように見えて、同じ不安を別の方法で処理しています。だから引き合うし釣り合いも取れる。天秤のように。手放せない理由たとえば、こういう関係があります。連絡が遅いと不機嫌になるパートナー。謝り続けることで関係が保たれる。苦しいのに、離れられない。離れられないのは、意志が弱いからではありません。その関係の中に「安心」が埋め込まれているからです。不満や我慢があっても、その構造が壊れることの方が怖い。思い切って離れても、自分の中の構造が変わらなければ、気づかないうちにまた同じ関係を作ります。場所が変わっても、引き合うものが同じだからです。構造を見る支配と安心が結びついている間、人はその関係を「普通」と感じます。当たり前すぎて、疑いません。その構造に気づくのは、外から見たときです。誰かの支配関係を見て、非難したくなることがあります。でもその非難の裏には、たいてい羨ましさか、自分の不安が隠れています。相手を見ているようで、自分の構造を見ています。支配と安心の結びつきは、気づかないうちは見えません。 見えていないものは、選びようがあ
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