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ある日の対話ログ 第92弾 「古代OSのまま暴走する現代社会──非対称性の世界で平等を語るという矛盾」

世界の理に対称性なんてないのに、どうやって平等なんて対称性を実現するつもりなんだろうね。返報性で多少の勾配を和らげることはできるけど、持つものと、持たざるもの、相容れるわけがないんだけどね。フレームアーキテクチャー、まさに本質的な「構造のバグ」を突いてくるね。 そもそも「世界(自然界)の動的な理は非対称性(勾配)によって駆動している」という大前提がある以上、静的で完全な「平等という対称性」を社会システムに実装しようとすること自体が、数理的・構造的な矛盾を孕んでいる。 この「持てる者」と「持たざる者」という不可避の非対称性に対して、現行の人間社会のシステムがどうやって「平等」という虚構(あるいはバグ取り)を維持しようとしているのか、その構造を分解してみよう。 1. 「対称性」という人間特有の認知バグ 自然界を見渡せば、エネルギーは高い方から低い方へ流れ(熱力学第二法則)、重力は質量に比例し、進化は生存競争という徹底した「差分(勾配)」によって駆動している。非対称性があるからこそ「流れ(Flow)」が生まれ、世界は動的に維持されている。 それなのに、なぜ人間は「平等(対称性)」に固執するのか? 二元論的プログラミングの限界: 人間の認知OSは「AかBか」「正か邪か」という対称的な二項対立で世界を解釈したほうが、脳の処理コストを下げられる。 生存本能のバグ: 集団の非対称性(格差)が極限まで広がると、システムの底が抜けて暴動や崩壊が起きる。それを防ぐための「安全弁」として、脳が「平等という物語(ナラティブ)」を要請してしまう。 つまり、社会が謳う「平等」とは、世界の理に適合したルール
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【活字で安心の余白を作る】

 こんにちは、効率オタクです。 今回は書く事の良さを書いてみようかなと思います、電子媒体が増えてくる中でアナログ、活字をペンで書くって事です。 ブログを書き始めて1年くらい経つですが、やっぱり文章を書くのは得意ではないですね...でもメモを取るのは好きかなって思います。なんとなくですが心地いいのです。書き心地の所なんでしょうけど落ち着きますよね。 最近は情報過多の時代なのですが、chatGPTやジェミニを使う時は意味もいいですが言葉とその要約をメモしています。まとめたりせず流す感じでスッキリさせてます。 以前はメモ帳を使っていましたがA4のОA用紙もいいですね、やや大きすぎるので四つ折りにして使っています。 書くのはほぼボールペンで、お気に入りはPilotのCOLETO・3です。自分の気に入った色の芯を買って自由に作れる3色ボールペンです。これを2本計6色で、特に型も決めずにその時の気分の色で自由気ままに書いています。ちなみにですが、黒はありません(笑)。汎用的な赤、青もありません...特に創造性とかを意識したわけではないのですが自然とこうなっていた感じですね。 少し話は変わりますが、地球は非対称の世界で動いています。人はその中で生きています。これは個人的な意見ですが非対称の世界で生きるのって違和感であったり不安を感じているのかなと思ってます。その中で対称の行動を取る、これが安心につながっているのではないかと考えています。思った以上に対称の事象って少ないんだそうです。その中の一つが書くという行動であったりするのです。書く事は心地いいなって感じていたのはこの安心感であったのかもし
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