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「人が倒れたとき、日本人とアメリカ人はどう動く?」――24年の救命士が見た“勇気”の国境線

私は、救命士として働いていたころ、成田空港の消防署で勤務していたことがあった。当然、空港やその周辺には外国人の方が多い。数々の救急事案に対応してきたが、中でも心肺停止事案に出動したときに思ったことがある。私が経験した症例の中(分母は少ないが)では、たまたまかも知れないが、100%外国人(アメリカ人が多かったと思う)の方が、バイスタンダーCPR(居合わせた人が心肺蘇生法などの応急処置を行うこと)を行っていた。 本日は、そのような観点からお話してみようと思います。最後まで読んでいただけると嬉しいです。文化がつくる「命の境界線」アメリカでは、路上で人が倒れれば、通りがかった市民がすぐに心肺蘇生を始める。一方、日本では人が集まっても、誰も動けずに立ち尽くす光景をよく見てきた。どちらの国の人も、助けたい気持ちはある。けれど、その“最初の一歩”を踏み出せるかどうかに、文化の差が現れる。私は24年間、救急救命士として現場に立ち続けてきた。その中で、何度も「もし誰かが、あと一歩早く動けていたら」と思う瞬間があった。教育と意識の違いが、行動を変えるアメリカでは、高校の授業で心肺蘇生(CPR)やAEDの使い方を学ぶ。多くの州では卒業要件に含まれており、「救命は社会の常識」として根づいている。一方、日本ではようやく近年になって、中学校の保健体育で心肺蘇生法が取り入れられ始めた。これは大きな進歩だと思う。けれど、実際に倒れた人を前にしたとき、「間違えたらどうしよう」「責任を取れない」と手が止まる人が多い。制度や法律の問題ではなく、“行動への恐れ”が日本の課題だ。訴訟文化を過剰に怖がり、「見ているだけで
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🚑救命士パパの料理哲学・第5弾 「救命と日常、どっちも命を救っている」

サイレンの音を聞くと、今でも胸が少しざわつく。24年間、救急救命士として走り続けてきた。真夜中だろうが、嵐の中だろうが、119が鳴れば現場へ向かった。人の命と向き合うというのは、いつも“答えのない仕事”だった。あの頃の俺は、いつも気を張っていた。「一秒でも早く」「一人でも多く」。ただそれだけを信じて現場に立っていた。だけど——その緊張の裏で、家族との時間は、どこか置き去りになっていた気がする。今、台所で味噌汁を作りながら思う。“命を救う”って、現場だけの話じゃない。家族と笑い合うこの時間だって、立派な“救命”なんだと。疲れて帰った妻の表情を見て、「おかえり」と言葉をかける。それだけで、人は少し救われる。子どもが学校の話をして、俺が「すごいな」と笑う。それも立派な救命行為だと思う。命って、特別なもののようでいて、本当は“日常の中”にある。朝ごはんを作ることも、洗濯をすることも、誰かの「生きる力」を支える行動だ。救命士の頃、患者の手を握りしめた瞬間があった。「もう少し頑張ってください」その言葉に、患者が微かに頷いた。あの一瞬の“命の灯”が忘れられない。そして今は、夕食の食卓で子どもが「父さん、うまい!」と笑う。その笑顔を見ると、思う。――あぁ、これも命を救ってるんだな。誰かを生かすのは、医療の技術だけじゃない。“寄り添う力”だ。現場でも家庭でも、それは変わらない。救命と日常。どちらも命を救っている。片方が派手で、もう片方が地味に見えるかもしれない。でもどちらも尊い。どちらも、命の物語だ。俺は救命士をやめたけれど、命を救うことはやめていない。今は、家庭という現場で、心の救命を続けてい
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