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小さな光を失った私への祈り

廉清生織のブログの部屋へようこそ言葉はいつも あとから届く胸の奥で ほどけきらない沈黙は先に 息をひそめてる忘れじの名は 無理に思い出そうとしなくていい思い出せないことも生きてきた 証だから祝祭は声高に 鳴らなくても夜明け前の 薄い空気のように確かに ここに あるのだから小さな光を失ったと 思ったあの日も世界は あなたを置き去りになどしてはいなかった祈りとは願うことではなくまだ 歩けると信じ直すことたとえ あなたの名前が 呼ばれなくても拍手が なくてもあなたは 今日も必要と されているどうか焦らずこの 一歩分の呼吸を胸に そっと 戻して光は取り戻すものじゃないあなたの中で再び灯るものだから言の葉が あなたの胸に希望の光となりそっと 届きますように静かな祈りを 込めて
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涙は、心のデトックス

涙を流すのは、 弱いからでも、情けないからでもない。 それは、 心ががんばりすぎた自分を癒そう としている証です。 泣けるということは、 ちゃんと心が動いているということ。 涙は、心が回復するための自然な働きなのです。 涙は、嬉しいとき、悲しいとき、悔しいとき 感情が大きく揺れ動く瞬間に流れるもの。 涙には、 ストレスホルモンを体の外に流し出す作用や、 自律神経を整えて心身をリラックスさせる効果 があると言われています。 でも、私の涙は, 本当に悲しいとき、悔しいときには 出てくれませんでした。 まさに「悲しすぎて涙も出ない」状態。 だからこそ、 悲しさや悔しさが心のしこりとなって いつまでも、気持ちを 引きずってしまったのだと思います。 悲しい映画を観たときには自然に出る涙が、 なぜ自分のことになると出てこないのだろう。 テレビの感動的な場面で、泣けるのに なぜ自分のことになると泣けないんだろう… そう思っていたある日、 心が少し落ち着いた頃に、 ようやく涙があふれてきたのです。 そのとき気づきました。 涙って、正直なんだ、と。 涙だけでは癒しきれないほどのダメージを 受けたとき、 心が限界を超えてしまったとき、 涙の作用は働かないのだと。 だから、 悲しくて涙が出るあなたは、まだ大丈夫。 泣けるということは、 心が回復しようとしている証。 泣くことは、 恥ずかしいことでも、 情けないことでもありません。 どうか、我慢せずに泣いてください。 涙は、心のデトックス。 流した分だけ、 少しずつ心が軽くなっていくのだから。 今日流した涙が、明日のやさしさに変わりますように。
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「ほんの少しの光を信じて──揺れる心の記録」

最近、心がずっと揺れ続けています。 現実の問題に向き合いながら、 「人は人、自分は自分」と言い聞かせているのに どうしても先のことばかり考えてしまって—— ふとした瞬間に、 「このままの状態がずっと続いたらどうしよう」 と怖くなる自分がいます。 もうやめてしまおうか、と思う日もあれば、 いや、もうすぐ芽が出て、 私も、みんなも幸せを感じていけるんじゃないかと、 淡い期待にしがみついている自分もいて。 その間をずっと行ったり来たりしていて、 どこにも逃げ場がないような、 そんな感覚があります。 ほんの少しだけでも、 そこに陽が射してくれたら違うんでしょうけどね。逃げ場がない—— そう感じる瞬間って、 たいていはほんの些細なきっかけなんですよね。 朝、カーテンを開けたときに 胸の奥が重くなる日もあれば、 スマホの通知ひとつで 心がざわついてしまう日もあって。 「大丈夫かな」「今日は乗り切れるかな」 と自分に問いかけながら、 気づけば同じ場所をぐるぐる回っている 気がすることもあります。 本当は、 そんな自分を誰かに受け止めてほしくて、 「つらい」とか「苦しい」とか 言えたら楽になるんだろうけど…… 言葉にする前に、 心がすっと閉じてしまうんですよね。 大人になればなるほど、 「弱さ」を口にすることって、 なんだか難しくて。 それでも、不思議なことに。 諦めきれない小さな光だけは、 ずっと胸のどこかに残っていて。 「あと少し頑張れば、何か変わるかもしれない」 そんな希望のかけらを、 私はまだ手放せずにいます。 弱気と強気のあいだを行き来しながら、 揺れながら、 それでも前に進もうとし
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「泣いていい場所──「“生まれてきてくれてありがとう”の重さに触れたとき」

SNSでふと目にした、 医療ケア児と暮らすご家族の記事。 そこに書かれていた 「生まれてきてくれて、ありがとう」 という言葉に、胸がぎゅっとして、涙がこぼれそうになりました。 誰かの“生まれ”や“存在”そのものを肯定する言葉は、 どうしてこんなにも心の奥に響くんでしょうね。 悲しい別れがあったとき、 涙が止まらなくなるほどつらいときも、 少しだけ時間をさかのぼってみると 「出会ってくれて、ありがとう」 そう思える瞬間が確かにあったはず。 涙は、 後悔や苦しみだけから流れるものじゃなくて、 「大切だった」という気持ちを 思い出したときにもあふれてくる。 だから、泣いてもいい。 その涙は、 あなたの優しさが形になっただけだから。 いつかきっと、涙の向こうで、 前を向ける日が静かに訪れます。 急がなくていい。 その日まで、ここは“泣いていい場所”です。
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二月を迎えて

皆様、こんばんは。産土神社鑑定士、開運カウンセラーの佐藤舞由加です。二月を迎え、少しずつ春の足音が聞こえてくるような、そんな季節になりました。 一月を振り返ってみますと、世の中の大きな出来事や、自分自身の身の回りの小さな変化……気づけばそれらを一つひとつ、なんとか越えて今日までたどり着いたように感じます。 人生には、毎日必ず、その時々の課題が与えられているものです。 私たちはそこで学び、時に迷い、立ち止まりながらも、それでもまた一歩、前へと進んでいく。 それこそが「生きる」という営みの本質なのだと思います。 人生は、いいことばかりが続くわけではありませんし、悪いことばかりがずっと続くわけでもありません。 穏やかな日もあれば、心が激しく揺れる日もあり、どうしていいか分からず立ち尽くしてしまう日もあります。 それは誰にとっても同じこと。そういう意味では、人生は案外、皆に平等なのかもしれませんね。私たちが、自分らしく立ち続けるために、何より大切にしたいのが「根を張る」ということです。たとえば、道端に人知れず立っている一本の木。 誰に見せるためでもなく、誰かに評価されるためでもなく、その木はただ、凛としてそこに立っています。 特別な守りがあるわけでも、恵まれた環境が用意されているわけでもありません。 照りつける暑さにも、凍えるような寒さにも、そして激しい雨風にもさらされながら、それでも静かに命を繋いでいます。 たとえ地面が固く、栄養が少なくても、その木は己の運命を嘆くことはありません。 与えられた場所で、ただ一生懸命に、見えない土の中で深く深く、根を張っていきます。 誰にも気づかれなく
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生きづらさと“死”について、私が正直に思うこと

「死」について語ることは、とても慎重さが必要なテーマです。でも、私がコーチングという仕事をするうえで、最初に伝えておきたい考えがあります。私の中にはずっと、“死は特別なことではなく、誰にでも訪れる自然なもの”という価値観があります。恐れるべきものというより、「生の一部」という感覚に近い。もちろん、私は生きることの楽しさを知っています。人との関わりや、小さな喜びが心を温かくしてくれる瞬間も、何度も経験してきました。それでも人生には、「どうしても生きづらい」と感じる時期があります。呼吸の仕方さえわからなくなるような日もある。そうした絶望の中で、“死という選択肢が頭に浮かぶこと” は、誰にでも起こり得ることだと思っています。ただしここで大切なのは、私は 死を推奨しないし、肯定もしない ということです。浮かんでしまうこと自体を責めない、否定しない。でも、その領域での意思決定をサポートする責任は、私にはありません。だから私は、死を真剣に考えるほど苦しい状態の方の相談には応じられません。それは拒絶ではなく、「専門的な支援が必要な状態だから」と理解してほしい。私が寄り添えるのは、・不安・迷い・生きづらさ・未来への怖さそうした“心の揺れの段階”にいる人たち。そして、ここがあなたに強く伝えたい部分です。どんな状態の人でも、私は“その人自身”を否定したくない。苦しんでいるその人を、責めたり切り捨てたりするつもりはまったくない。でも同時に、命に関わる領域に踏み込むことは、あなたのためにも、私の責任としてもできない。その線引きは、あなたを大切に思うからこそのものです。私はいつも思う。「ここまで苦しいと
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