『傘を二本、持ってきた理由』
雨の日は、好きじゃなかった。理由ははっきりしている。濡れるのが嫌とか、髪が乱れるとか、そんなことじゃない。――思い出してしまうからだ。中学の頃、仲が良かった子がいた。毎日一緒に帰って、他愛もないことで笑い合える、そういう存在だった。だけど、ある雨の日。その子は突然、転校してしまった。何も言わずに。帰り道、ひとりで傘をさして歩いた道が、今でも忘れられない。アスファルトに落ちる雨粒を見ながら、「傘なんて、もういらない」そう思ったのを、よく覚えている。それから私は、“言葉にならないもの” をノートに書くようになった。書いては破り、破ってはまた書いた。でも、一度だけ捨てられなかった手紙がある。“いつか、この想いを渡せたら” と思った。渡せないと分かっていながら。その手紙を、私はずっと持ち歩いている。だから――濡らしたくなかった。それが、傘を二本持ってきた理由。でも、昨日。あの人は、何も聞かなかった。理由も、事情も、詮索もしなかった。ただ、「……ありがとう」とだけ、言ってくれた。その声を聞いた瞬間、胸の奥に、あの頃とは違う雨が降った気がした。だから私は、帰り道にこう思った。――雨も悪くないかもしれない。今日は、少しだけ好きになれそうです。いつか、この手紙を渡せる日が来るなら――私はもう一度、雨の日を選ぼうと思う。泣いてもいいように。笑えるように。心を濡らしたのは、雨じゃない。抱えたままの手紙だった。
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