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毎日の奇跡に気付く

何気ない日常。何気ない景色。そのどれもが一瞬で、その瞬間、その場所でしか体験することが出来ないものであることに気付くことが出来ると、どんな状況にあっても、それが欠かせないものだと感じられるような気がいたします。気分の上下はあれど、外を眺めれば美しい雲間から差し込む光に気付いたり、少し秋めいた空気感を感じることが出来たり…。ほんの少しの時間でも、そんな自然の神秘や奇跡に触れることが出来ると、その瞬間に気持ちが救われたり、塞いでいた心も洗われる。そんな情景を今日も目の当たりにいたしました。どんな小さなことでも良い。自分の体が動くこと。話が出来ること。暑さを感じられること。その一つ一つが貴重な体験なのだと、あらためて実感しております。忙しい毎日を過ごされていると、見過ごしてしまうこともたくさんあります。ほんの少しだけ立ち止まって、周りを見渡してみた時に、全てが当たり前ではないことに気付かされる。常にその意識で生活をすることが出来るならば、それが一番なのでしょう。これ以上の幸せは無いのだと思いながら生きていられたら…。ストレスの多い社会に生きるわたしたちではありますが、時々でもそんなことを思い出す時間が持てたなら、気持ちがずっと優しくなれる。そんな風に感じております。陽が沈む時間も、夏至の頃と比べてだいぶ早くなってきましたね。貴重な夏の夕暮れを、どうぞ楽しまれますように…🍀🍀本日もお読みいただきありがとうございます。いつもありがとうございます🌹
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「おはよう」と「おかえり」のその一言が、誰かを救っているかもしれない

私は毎朝、Xで「おはようございます」 の言葉をつぶやいています。 夕方には 「おかえりなさい、今日もおつかれさまでした」 の一言も。 ほんの短い言葉ですが、 気づけば毎日つづけてきた、 私の“日課”になっています。 最近、ふと考えることがありました。 どうして私は、この習慣を続けているんだろう? と。 たくさん「いいね」がもらえる日もあれば、 静かな日もある。 でも、 どちらの日も変わらず言葉を届けているのは、 たぶんあの時、 気づかされた「奇跡」のことが、 心にずっとあるからです。 31年前のある日、 私はまだ3か月にも満たない娘を亡くしました。 ちいさな体で一生懸命この世に来てくれて、 私をまっすぐに見つめながら 母乳を飲んでくれたあの子。 お風呂ではうっとりまどろむような表情をして、 ときどき、 ふと飲むのをやめて笑ってくれたその顔を、 今も鮮明に覚えています。 あの日、お寺さんに言われた言葉があります。 「『行ってきます』と言って出かけて、 『ただいま』と言って帰って来れるのは、  本当は“当たり前”ではないんです。 キセキなんですよ。」 そのとき、胸の奥にズンと響きました。 当たり前のように思っていた日常の言葉。 けれどそれは、いつも在るとは限らない。 「言葉を交わせること」そのものが、どれほど貴重で愛おしいか── 私は身をもって知ってしまったのだと思います。 だから、私は言葉を届けたいのだと思います。 「おはよう」と言える朝。 「おかえりなさい」と迎えられる夜。 その言葉を、 誰かが必要としているかもしれないから。 コメントがなくても、 「いいね」が少なくても、 「
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