「おはよう」と「おかえり」のその一言が、誰かを救っているかもしれない

記事
コラム
私は毎朝、Xで
「おはようございます」
の言葉をつぶやいています。

夕方には
「おかえりなさい、今日もおつかれさまでした」
の一言も。

ほんの短い言葉ですが、
気づけば毎日つづけてきた、

私の“日課”になっています。

最近、ふと考えることがありました。

どうして私は、この習慣を続けているんだろう?
と。

たくさん「いいね」がもらえる日もあれば、
静かな日もある。

でも、
どちらの日も変わらず言葉を届けているのは、
たぶんあの時、
気づかされた「奇跡」のことが、
心にずっとあるからです。

31年前のある日、
私はまだ3か月にも満たない娘を亡くしました。

ちいさな体で一生懸命この世に来てくれて、
私をまっすぐに見つめながら
母乳を飲んでくれたあの子。

お風呂ではうっとりまどろむような表情をして、
ときどき、
ふと飲むのをやめて笑ってくれたその顔を、
今も鮮明に覚えています。

あの日、お寺さんに言われた言葉があります。

「『行ってきます』と言って出かけて、
『ただいま』と言って帰って来れるのは、
 本当は“当たり前”ではないんです。
キセキなんですよ。」

そのとき、胸の奥にズンと響きました。

当たり前のように思っていた日常の言葉。

けれどそれは、いつも在るとは限らない。

「言葉を交わせること」そのものが、
どれほど貴重で愛おしいか──

私は身をもって知ってしまったのだと思います。

だから、私は言葉を届けたいのだと思います。

「おはよう」と言える朝。

「おかえりなさい」と迎えられる夜。

その言葉を、
誰かが必要としているかもしれないから。

コメントがなくても、
「いいね」が少なくても、

「今日も誰かに届いている」と信じて、
私はつぶやきます。

「ちゃんと食べてる?」
「無理せずマイペースでいこうね」
「つかれたら、ゆっくり休んでいいんだよ」

それはきっと、
かつて私自身が誰かに言ってほしかった言葉。

そして今も、
私が毎日、自分自身にかけてあげたい言葉です。

言葉は、誰かの心を傷つけることもある。

でも同じように、
誰かの心をふわっとあたためることもできる。

私はずっと、
寮生活を送る学生と関わる仕事をしてきました。

その中でも感じてきたのは、

「がんばれ」と励ますより、
「そのままでいいんだよ」
「無理せずね!」
と伝えるほうが
ずっと深く、心に残っていくということ。

それは、子育ても同じでした。

言葉は生き物。

声に出す人の思いが、そっとにじみ出る。

だから私は、
できるだけやわらかく、やさしく、
その人の心に
そっと寄り添える言葉を選びたいのです。

たとえ今日、
誰にも反応されなかったとしても──

私はきっと、
明日も「おはよう」と言うし、
「おかえり」とつぶやくと思います。

言葉には、想いが宿る。

言葉には、祈りがこもる。

たった一言のなかに、

「あなたは一人じゃないよ」という願いを込めて。





「あなたは一人じゃないよ」

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら