「おはよう」と「おかえり」のその一言が、誰かを救っているかもしれない
私は毎朝、Xで「おはようございます」
の言葉をつぶやいています。
夕方には
「おかえりなさい、今日もおつかれさまでした」
の一言も。
ほんの短い言葉ですが、
気づけば毎日つづけてきた、
私の“日課”になっています。
最近、ふと考えることがありました。
どうして私は、この習慣を続けているんだろう?
と。
たくさん「いいね」がもらえる日もあれば、
静かな日もある。
でも、
どちらの日も変わらず言葉を届けているのは、
たぶんあの時、
気づかされた「奇跡」のことが、
心にずっとあるからです。
31年前のある日、
私はまだ3か月にも満たない娘を亡くしました。
ちいさな体で一生懸命この世に来てくれて、
私をまっすぐに見つめながら
母乳を飲んでくれたあの子。
お風呂ではうっとりまどろむような表情をして、
ときどき、
ふと飲むのをやめて笑ってくれたその顔を、
今も鮮明に覚えています。
あの日、お寺さんに言われた言葉があります。
「『行ってきます』と言って出かけて、
『ただいま』と言って帰って来れるのは、
本当は“当たり前”ではないんです。
キセキなんですよ。」
そのとき、胸の奥にズンと響きました。
当たり前のように思っていた日常の言葉。
けれどそれは、いつも在るとは限らない。
「言葉を交わせること」そのものが、どれほど貴重で愛おしいか──
私は身をもって知ってしまったのだと思います。
だから、私は言葉を届けたいのだと思います。
「おはよう」と言える朝。
「おかえりなさい」と迎えられる夜。
その言葉を、
誰かが必要としているかもしれないから。
コメントがなくても、
「いいね」が少なくても、
「
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