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ミロクの世は元に戻る。菩提心が重要

仏行では発菩提心とは、悟り(精神)を求め生きとし生けるものすべての幸せの為に自分自身が仏陀の境地(自分の本性)を目指すこと、また目覚める事でこれを発菩提心(ほつぼだいしん)と言います。神道ではこれを「宮柱太敷立て」といいどちらも同じ意味です。私には難しいの無理というお考えでも知らず知らず誰でも菩提心は発動しています例えば、可愛い犬や猫を見て慈しむ思いしたり好きな人と一緒にいてドキドキしたりこの人の為に何とかしてやらねば・・・家族、会社の為、懸命に働こうこういった常に日常にありふれる心も菩提心であると思いますですから精神性(スピリチュアル)に興味をもった、学びたい何かの精神性を求めて自身の発願となるのを見つけようとするのも菩提心だから特別のものではなく、難しいものでもなく神や御仏は別の異なる存在でもなく自身の心が神仏であるという事を忘れてはいけない菩提心のエネルギー源は人の心にあるものです良い言葉、良い行い、良い思いで土台が作られていますしかし、何もわからない人に説明しても、真実を教えたりしても話を聞く耳を持たない人の為にお釈迦さんは、あなたはあっちへ、あなたは向に行って学びを知りなさいと言ったわけですこれを方便と言います。人は方便がないと真実には耳をかたむけません最初から真実いうと受け入れきれないからお釈迦さんは方便を使いましたあなたが悩む理由は煩悩と言わないと元の原因を教えても人はそんな事はないと受け入れしないんですねですから、すべてはみんな心が作り上げます般若心経の最後の段にかいてあります羯諦羯諦は、人はどうしても何か困った時はギャーギャーと言う波羅僧羯諦は僧はあきらめて生
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お釈迦様の予言

仏法が滅しようとする時、 女人は精進して常に徳を積むが、男子は怠けて信心がない。 仏法が滅ぶ時、天の神々はみな涙をこぼし、泣き悲しむ。 作物という作物は実をつけなくなり、 疫病が流行し、死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。 税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。 悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。 確かに、言われてみると現在の世相はお釈迦様の残したお言葉に添っているように感じられます。 かつては、お店に行っても、近所の方とちょっと話すにも、 もっと温かみがあり、 「人を人とは思わない」ような無礼なことをする人は、 少なかったように感じます。 ネットニュースや、 テレビから聞こえてくる事件・事故も、 この頃は悍ましく、 (人がそんな恐ろしいことをするのか) とゾッとするようなこと、考えてしまうような事件・事故が多い気がします。かつては「嫌なことが起こっても、信じられる何か」や、 「もっともっと良いことが世の中にはあるのだから」 と無条件で信じることが出来てきました。 その大切な「何か」が人の中から失われつつあるのが、 現代かもしれません。スマホもネットも余り普及せず、 今より不便で嫌なことも多かったかもしれません。 むしろ今の方が、一見自由で、 個人が言いたいことを言えているように見えますが、 童話:「モモ」のように、 灰色の男たちから大事なものを、 代わりに奪われている気がしてなりません。「先のことを考えてクヨクヨしたって仕方ない。 起こる時は起こるんだから、その時何とかするしかない。」 本当に、これが答えだと思うのです。 空を飛ぶ鳥は、種を撒
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悪口は受け取らない

「悪口は受け取らないと、 相手の元に戻る」 というお釈迦様のお話は 有名だと思いますが、 実際に本当なんだと 思ったことがありました。 そのお話はこちら↓ あるところに、 お釈迦様が多くの人たちから 尊敬される姿を見て、 ひがんでいる男がいました。 「どうして、あんな男が みんなの尊敬を集めるのだ。 いまいましい」 そこで、 は散歩のルートで待ち伏せして、 群集の中で口汚くお釈迦様を ののしってやることにしました。 「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。 その様子を人々が見たら、 あいつの人気なんて、 アッという間に崩れるに違いないそして、その日が来ました。 男は、お釈迦様の前に立ちはだかって、 ひどい言葉を投げかけます。 お釈迦様は、ただ黙って、 その男の言葉を聞いておられました。 弟子たちはくやしい気持ちで、 「あんなひどいことを言わせておいて いいのですか?」と お釈迦様にたずねました。 それでも、 お釈迦様は一言も言い返すことなく、 黙ってその男の悪態を聞いていました。 男は、一方的にお釈迦様の悪口を 言い続けて疲れたのか、 しばらく後その場に へたりこんでしまいました。 どんな悪口を言っても、 お釈迦様は一言も言い返さないので、 なんだか虚しくなってしまったのです。 その様子を見て、お釈迦様は、 静かにその男にたずねました。「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、 その贈り物は一体誰のものだろうか」 こう聞かれた男は、 突っぱねるように言いました。 「そりゃ、言うまでもない。 相手が受け取らなかったら
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お釈迦様

不思議な夢 2大きな仏様が真ん中にどーんと、座っています。両脇の席には、人より大きめの仏様・・羅漢さんと思われる仏様が、沢山座られています。2・3メートル有るように感じます。■不思議な光景箱の様な器械を証拠のようにして提出しておられる仏様がいました。その箱に人ほどの大きな印がズンッと押されます。その仏様はピラミッドのブロックの様な石畳のところからズズズっと下へ下がって行きます。器械は泥になっていました。黒い着物姿の仏様が数人頭がつるつるしています。襟の立った水色の着物姿の仏様が数人並んでいました。水色の着物の人物たちはさかやきが結われています。すめはそれを後ろから、見ています・・。すると深々と皆さん、大きな仏様方にご挨拶をします。その時、水色の袴姿の人物、数人が、泥土に変わり崩れてしまいました。はっと、したその一瞬に、大きな仏様の前に移動します。何らかの良くない事が、一瞬に浄化され、すめは魂が開放されたのだと思いました。きっと即身成仏が叶いここにやってきたのだなと、思いました。実は水色の袴姿の人物は、この少し前に自分の前に現れて自分を見ておりました。にこにこと朗らかに見えますが、着用している衣の繊維がマス目上に一つずつ口と顔がついていて凄い形相で同じ言葉かけを繰り返しています。お前のせいだと同じ言葉掛けを繰り返しています。向き合う人々全てに向けられています。もしくは着用している人物に発しているのでしょうか。さだかではありません。とても恐ろしい衣服を着用している人物ははそのことに気づいていない様子です。真ん中の中心的な仏様ですが、この仏様はとても大きくて、人々は大きな仏様の足の指
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自然に還るという修行

おはようございます。老子さんにお手伝い頼まれたのは”得度式”というものでした。これから老子さんのもと、お釈迦様の教えの道に入りますという覚悟を示すような式でもあるようでした。浜松の龍泉寺におられたときなら見れるものではないということでした。老子さんは88歳でこちらの方とご縁頂きご結婚されることをきっかけにお寺を息子さんに任されて移住されたようでした。制限なく自由だしそういう格式高い、特別とされる式もこのような何も知らないサラさんが参加できる機会があるというのも特別さや、境目がなくなってきているお知らせなのかもしれないなあと感じたのでした。老子さんも超可愛く自然です。教えというのも、伝える人の考え方でそのまま伝えられていることが本当稀のようです。考え方無くしたこの体の様子・・・それが仏そのものであり、完璧なのですと仰ってました。修行というのも、こうせねばと考えの上で様々なものを絶つというより、自然な状態へ戻る・・・考え方から生まれる制限を解いていくような感じ。過去思い描いていた修行とは反対でした。本当にシンプルです。何か学ぶ必要も、得る必要もなくそちらの方ではなく、逆方向に大切なものは在る。サラさんもどこかそれを知っていてこのような感覚を思い出している最中なのでしょう。様々な出合いがここに繋がっています。皆さんも今、これまでの出合や経験も必ずその流れの一つ。今日も、ただただここで存在していよう・・・今日もありがとう🌠
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天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)

「唯我独尊」とは自分が一番だとうぬぼれていること、ですね。それは、とても強い言葉のように感じます。お釈迦様が誕生された時に言われたとされる、「天上天下唯我独尊」が元だそうです。生まれてすぐ、四方に七歩歩いて、右手で天を指し左手で地を指して言われたという逸話があるのですね。 天上天下、唯我独りのみ尊し「この広い世界で、私だけが尊い存在だ」「宇宙の中で、私より尊い者はいない」?お釈迦様ゆえ、それはそうでしょうとも・・・。しかし、お釈迦様のみならず、かけがえのない個人の尊厳を示したものだともいわれているそうです。私=全ての人や物と解釈するのですね。生きとし生けるもの、皆それぞれが尊いということですね。I love myself !でまいりましょう(*'▽')
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お釈迦様の教え~自分軸で生きる~

誰かに何かを言われたりされたりしたとき、ムッとすることがあります。そして、その人のことを腹立たしく思うことでしょう。そんなとき、その人を責め続けていると、結局自分のコントロールを手放してしまうことになります。例えば会社で上司に注意されて腹が立つとします。そして同僚に「今日これこれのことがあってさー」とグチることもあるでしょう。そのとき、上司の悪口を言って、相手が「そうだよね」と承認されると、自分が正当化されるので少し心が和らぎます。ただ、他の人を責めている時点では、他人に関心が向いている状態になり、問題は解決はしません。そこで、他人に関心が向いている状態から、自分に関心を戻して「わたしはどう感じたか?」を調べます。「自分が否定されているみたいで悲しかった」だとすると、この感情を口に出してみます。「わたしは悲しかった」「悔しかった」この時点で軸は自分に戻っています。そしてそれから自分に向かって「そっかーわたしは悲しかったんだ。でも大丈夫。わたしは素晴らしい人間だから」という風に自分で癒していくことが可能になります。自分が癒えて心が変わると、現実が後から変わります。逆に「あいつが悪い」「どうにかならんかな」と考えているうちは他人軸、つまり人をコントロールしようと考えているので、解決はしません。表向きに解決したと思っても同じような状況がまた巡ってきます。他人軸⇒自分軸に戻す、というところまでいくと良いです。これ、わたしが発見したときは「すごい癒し方を発見したぞ!」と自画自賛していたのですが、後からこの教えはお釈迦様の教えであったと聞きました。お釈迦様、さすがですね。ちなみに今、わたし
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犀の角のようにただ独り歩め

こんばんは。LAMPLIGHTER(ランプライター)という屋号でタロット占いを中心としたサービスを提供しております。タロット占い師のRachel(レイチェル)と申します。一瞬でもブログに立ち寄って下さり本当にありがとうございます。第21回のブログは「犀の角のようにただ独り歩め」をテーマに投稿します。この言葉に出会ったのは私がインドに一人旅に出かけていた時にバラナシ(ガンジス川(ガンガー)で有名な町)に滞在していた時だったと思います。日本語の書籍が宿泊していたゲストハウスに置いていてそれで知った気がします。今日お客さまの鑑定をしていて、10年程忘れていたこの一節を思い出しました。「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」はお釈迦様の言葉で、スッタニパータという仏教経典に掲載されている一節です。有名な言葉なのでご存じの方多いかもしれません。荒涼とした大地を歩く一頭の犀のどアップと「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」という見開きいっぱいの文字に20歳前後の私は「なんかカッコいい!」と思った記憶があります。サイは基本的に単独行動を好む生き物だそうで、犀の角は孤独を表すそうです。お釈迦様はとかく孤独を求める印象がありますが(妻や子供を置いて悟りの旅に出かけたり)、孤独の中にこの世の真理があるのでしょうか。Rachelの解釈ですと「本当にやるべき事は一人でもやる覚悟を持ってね」ということだと捉えています。いくらでも誰かと繋がれる現代だからこそ、誰かの評価や言葉によって自分の意思がブレてしまう時があります。繋がりがかえって孤独感を強めることもありますよね。お釈迦様のように一切合切の関係を断ち切
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4月8日は花祭り(灌仏会)

今日4月8日は「花祭り」というお釈迦様のご生誕を祝う日です。 「灌仏会」(かんぶつえ)とも呼ばれています。 旧暦の4月8日に行うところもありますが、宗派や地域に関係なく、多くのお寺で花祭りは行われています。 また、祭りを否定する仏教において、唯一「祭り」の名の付く行事です。 西洋のクリスマスは皆さんご存じでも、花祭りは意外に知らない人も多いと思います。 お寺ではこの日に何が行われているかというと、お釈迦様が誕生した時の姿をした像である「誕生仏」に甘茶をかけてお祝いするという行事が開催されています。 かつて、天に九匹の龍が現れて甘い水を吐き、それをお釈迦様の産湯に使ったという説話があります。 「花まつり」は甘茶を潅(そそ)ぐ行事でもあるので、「潅仏会(かんぶつえ)」とも呼ばれている由縁でもあります。 ところでこの誕生仏は、右手は天を指し、左手は地上を指した姿をしています。 これは、お釈迦様が産まれてからすぐに立ち上がって七歩歩き、右手で天を左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ(が)ゆいがどくそん)」と話したというエピソードが基になっているといわれています。 この「天上天下唯我独尊」を、どう訳すでしょう? なんとなく文字面からして、直訳すると「この世界に私よりも尊い存在はない」と捉えてしまいますが、お釈迦様がそんなことをおっしゃるはずはありません。 この言葉の中の「我」はお釈迦様自身ではなく、私たち一人一人のことです。 そして「独尊」とは、たった一つの尊い命ということです。 決して自分一人が偉いという意味ではありません。 お釈迦様は現代の私たちにも、一人一人がかけ
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2022年4月8日 ソードのページ 正位置 タロットカードで本日の行動指針をお伝えします。

本日、2022年4月8日は、暦のうえで「スペシャルな日」となっています。まず今日は、「一粒万倍日」(いちりゅうまんばいび)という特別な日になります。「一粒万倍日」は、「一粒のモミが万倍にも実る稲穂になる」という意味があり、何かをスタートさせるのにはもってこいの日になります。また、「神吉日」(かみよしにち)といって、神社にお参りにいったり、先祖の供養をするとよい日になります。さらに本日4月8日は、花祭といって、お釈迦様の誕生をお祝いする日でもあります。この「すばらしい吉日」に、あなたの「新しいステージ」に向けて一歩踏み出してください。ということで、本日の行動指針ですが、ソードのページ 正位置が出ました。ソードのページは、正位置だと軽やかで柔軟性のある思考自由・方向性を持たない行動力などを表します。一定の方向性を持たない軽やかな風のイメージですね。ということで、本日の行動指針としては、「ソードの風に乗って軽やかに柔軟性を持って思考する1日としましょう」ということだと解釈しました。神社にお参りなど行くと、いい考えが浮かんでくるかも知れませんね。みなさんはどう受け止められましたか?色々と解釈してみてくださいね。それでは、今日も良い一日をお過ごしください🥰***************************************** ということで、あなたも「タロットカード」 によるリーディングを体験してみませんか? ご興味のある方は             ↑こちらのサービスをご利用ください。 フーチ(ペンデュラム)による鑑定にご興味のある方は             ↑こちらのサー
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お釈迦様と蓮の花

ある時綺麗な蓮の華の湖が霊視で浮かんできました。真ん中に六角堂があり その中には金色の大仏様が(息をしている)浮いて座禅を組んでいます。湖の岸には古代のインドのお釈迦様のお弟子様が沢山いて、金色大仏に変身したお釈迦様を心配したり、凄いなと言ったりして見守っています。その湖全体を左の上の方から弁天様が見守っています。ニコニコして、 やはりビンクと金色の濃淡の派手な素敵な天の羽衣をまとっています。 現実の私が、1人で手漕ぎの小舟に乗り支流の川を下って行きます。 何処へ行くか分かりません。 私は(中国の皇帝の命令で) 「お釈迦様の湖を出発して、 支流を下り、海に行くか?何処かの川と合流するのか?行きつく所迄行って見てこい」と言われて、 湖から支流に漕ぎ出した所です。私はこのような霊視をして不安になり、お師匠様に、訪ねました。 (一度神様の事をしようとしたら、 あまのじゃくではあかん。 中途半端ではダメやということや)、 と指導していただきました。とてもとても綺麗な光景で目に焼き付いています。蓮の花は泥の華とも言われて 泥の湖でも綺麗に咲き誇ります。何年か前、日本で古代の蓮の花の種が発見され、それを研究者が、 見事に咲かせたというニュースを見ました。蓮の花は生命力が強いし、 あんなに綺麗に何千年経っても 咲くのですから、お見事です。弁天様が (仏教のおお釈迦様も蓮の華の (霊的)湖で悟りを開いた)と おっしゃってくださいました。 そして 「中国の皇帝はその中から 独自の修行をして 儒教や仏教を発展して行った」というのです。 それを日本の雰囲気の弁天様は ニコニコして 全てを見守って下さ
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なんとかなるさ~

よくメッセージに、流れに身を任せてって届けられるけれど簡単じゃないよね・・・。そう感じます。うまくいっているなって感じてるときなら簡単だけど”自分がうまくいっていない”と感じるときは心は騒ぎ出しちゃうよね。昨日のひとことメッセージも”身を委ねる勇気”って届いていたから一日感じてました。そんな時、目にしたのがお釈迦様の言葉だという『タタータ』起きることが起きる。それ以外は決して起きない。こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。それ以外は決して起きなかったのだから。先人の言葉、有難いですね。私たちは振り返っても、悲しいことや苦しいこと、また楽しいことや喜ばしいこと・・・たくさん体験してきたけれど、私たちがどう感じようとそれはそうなるようになっていたということ。これからだって、起きることしか起きない。流れと共にいたらいい。任せたらいい。後悔する必要も、心配することもないんだよと伝えてくださってるのかなと感じます。私たちはそれぞれ全体の部分であって全体が見渡せないから、何も解らないから怖くなることもあるけれど体の働きもなぜだかわからないけれど完璧に動いてくれてるように私たちも完全なる動きの中に今ここにいる。どうあがいたって、それはそのように起きている。”引き寄せの法則は??”と思う方もいるかもしれないけれど、これは部分の視点。何も感じずに生きることから意識的に生きる成長過程の通過点のように今では感じています。全体に任せるしかない。それならば・・・なんとかなるさ~なんだっていいさ~心地で、今このときを気楽に全体にお任せしてしまいましょう。怖くなったとき、そんな風に
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第四回 布施 ~法施~

前回はお釈迦様が教えられた、「六つの幸せになる種まき(幸せになる行い)」をご紹介いたしました。今回はその内の一つ「布施」についてお話いたします。「布施」とは、一言で”親切”ということですが、色々の親切、「布施」が説かれています。大きく、「財施」「法施」「無財の七施」が、説かれます。今回はその中の「法施」についてです。〇「法施」法施とは、人(命あるもの)に仏教の真実を伝えることを言います。それが信頼に値するものであれば、伝えるということはとても大事な尊い善行になります。もちろん、それを選ぶかどうかは、それぞれの方に委ねられますが、情報が入って来ず選択肢にもない状況でしたら、たとえそれらが妥協案であっても、知っている情報の中から選ばざるをえません。例えば、重い病にかかった時、よい病院や腕のいい医師があったとしても、情報として入って来なければ、元より”選ぶ”ということができません。ですから、どんなことがあっても絶対に崩れない本当の幸せになれる仏教の真実を、お一人お一人にお伝えすることは、大変に尊い布施行なのです。
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天上天下唯我独尊

甘茶祭り お釈迦様の誕生祭4月8日は、卯月八日(うづきようか)9匹の竜が天から清浄の水を注ぎ、生まれたお釈迦様はすぐに7歩歩き、右手で空を、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」とお唱えしたとされています。漢方薬などにも使用されるとされる「小甘茶(こあまちゃ)」砂糖がない時代には甘味料として神様の飲み物とされていました。不老不死になれるというインドの伝説があります。
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正しく諦める

苦しみから逃げる。嫌なことから逃げる。全然OK。でもそれをしなければ次に進めないとしたらどうですか。孫悟空はお釈迦様の手のひらから逃げられなかった。 勇気を出して行動しよう。  
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