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【知らないと大損!】お墓、仏壇、戒名、葬式の一般常識、それって本当ですか?

マリンこと神保慶明です。 バカ高い 戒名って ホントにいるんでしょうか? 死んだら 仏壇の位牌や お墓に行くんでしょうか? 葬式も変化している今、 お線香や戒名、灯明などの ホントの意味、 役立つ真実を明らかにします!
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【知らぬ間は死ねない】最高峰「法華経」の真意を爆速で知る!

マリンこと神保慶明です。 多くの仏教経典の中でも 釈尊が最も伝えたい 内容をまとめた お経のキングと言われる法華経 その真髄を 宗教家や学者よりも 軽快な喋りですが、 非常にわかりやすく明快に ラジオ形式で話してます 誰にでも関係ある 大切なことを聞き逃しなく!
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【超簡単入門】知らなきゃヤバい!お彼岸の本当の由来や意味

マリンこと神保慶明です。 あなたは お彼岸のこと どこまで知ってますか? 今回は 宇宙が教えてくれた お彼岸の 知らなきゃ ヤバい真実を サルでもわかるぐらい(笑) わかりやすく おしゃべりしてます! 是非 お彼岸の本当の意味を知って 人生をより実りあるものに!
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自然に還るという修行

おはようございます。老子さんにお手伝い頼まれたのは”得度式”というものでした。これから老子さんのもと、お釈迦様の教えの道に入りますという覚悟を示すような式でもあるようでした。浜松の龍泉寺におられたときなら見れるものではないということでした。老子さんは88歳でこちらの方とご縁頂きご結婚されることをきっかけにお寺を息子さんに任されて移住されたようでした。制限なく自由だしそういう格式高い、特別とされる式もこのような何も知らないサラさんが参加できる機会があるというのも特別さや、境目がなくなってきているお知らせなのかもしれないなあと感じたのでした。老子さんも超可愛く自然です。教えというのも、伝える人の考え方でそのまま伝えられていることが本当稀のようです。考え方無くしたこの体の様子・・・それが仏そのものであり、完璧なのですと仰ってました。修行というのも、こうせねばと考えの上で様々なものを絶つというより、自然な状態へ戻る・・・考え方から生まれる制限を解いていくような感じ。過去思い描いていた修行とは反対でした。本当にシンプルです。何か学ぶ必要も、得る必要もなくそちらの方ではなく、逆方向に大切なものは在る。サラさんもどこかそれを知っていてこのような感覚を思い出している最中なのでしょう。様々な出合いがここに繋がっています。皆さんも今、これまでの出合や経験も必ずその流れの一つ。今日も、ただただここで存在していよう・・・今日もありがとう🌠
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お釈迦様の教え~自分軸で生きる~

誰かに何かを言われたりされたりしたとき、ムッとすることがあります。そして、その人のことを腹立たしく思うことでしょう。そんなとき、その人を責め続けていると、結局自分のコントロールを手放してしまうことになります。例えば会社で上司に注意されて腹が立つとします。そして同僚に「今日これこれのことがあってさー」とグチることもあるでしょう。そのとき、上司の悪口を言って、相手が「そうだよね」と承認されると、自分が正当化されるので少し心が和らぎます。ただ、他の人を責めている時点では、他人に関心が向いている状態になり、問題は解決はしません。そこで、他人に関心が向いている状態から、自分に関心を戻して「わたしはどう感じたか?」を調べます。「自分が否定されているみたいで悲しかった」だとすると、この感情を口に出してみます。「わたしは悲しかった」「悔しかった」この時点で軸は自分に戻っています。そしてそれから自分に向かって「そっかーわたしは悲しかったんだ。でも大丈夫。わたしは素晴らしい人間だから」という風に自分で癒していくことが可能になります。自分が癒えて心が変わると、現実が後から変わります。逆に「あいつが悪い」「どうにかならんかな」と考えているうちは他人軸、つまり人をコントロールしようと考えているので、解決はしません。表向きに解決したと思っても同じような状況がまた巡ってきます。他人軸⇒自分軸に戻す、というところまでいくと良いです。これ、わたしが発見したときは「すごい癒し方を発見したぞ!」と自画自賛していたのですが、後からこの教えはお釈迦様の教えであったと聞きました。お釈迦様、さすがですね。ちなみに今、わたし
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神様とのご縁に関する話

いつもお読みいただきありがとうございます☆今回は神様とのご縁に関してをまとめて載せますね。前回の「神様と小龍ちゃん達としあわせのおすそわけ」で阿弥陀如来様、薬師如来様が家に来られている話を載せきれなくて分けた部分になります。きっかけは2024年5月GW前の頃の事です。環境変化させたい、自分をもっと成長させたいとの思いから、新たなアチューメントを受けるべきかと考えていたら朝の夢に「大日如来」の言葉が急に浮かびました。 アチューメントを受けるためにたまたま見かけていた仏教レイを思い出したのでそれを受けることに決めました。仏教レイは日付を指定してその日付に気のボールを送って頂き、その日一日の内に自分が受けたいタイミングで受ける形です。その時のアチューメントの順番と その後の変化をまとめてお伝えしますね😊 大日如来様  5/3にアチューメントを受けました。 その時の体感は覚えていません。 その後5/4に太陽光(向 紅)龍  たいようこうりゅう 陽翔 ひなたちゃんその翌日5/5に 陽向龍ようこうりゅうの日梨ひよりちゃんがやってきました。その数日後(日付は忘れました)小光龍(しょうこうりゅう)三人が来ました この子達は小さな光を三人で飛ばしていますので蛍みたいな感じです(*´▽`*) 石龍のように小さな子達で光璃 ひかりちゃん 光嬉 こうきちゃん 光輝 みづきちゃん です。更にその後5/14の朝の夢を通して始原龍(太古の太陽のパワーを秘めた太陽龍)の 女の子が出て来ました。 大黒様か恵比須様のように大きなお腹の 神主様の特級のような衣装を着て女の子を可愛がって撫でています。おきたその朝に来
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お釈迦様と蓮の花

ある時綺麗な蓮の華の湖が霊視で浮かんできました。真ん中に六角堂があり その中には金色の大仏様が(息をしている)浮いて座禅を組んでいます。湖の岸には古代のインドのお釈迦様のお弟子様が沢山いて、金色大仏に変身したお釈迦様を心配したり、凄いなと言ったりして見守っています。その湖全体を左の上の方から弁天様が見守っています。ニコニコして、 やはりビンクと金色の濃淡の派手な素敵な天の羽衣をまとっています。 現実の私が、1人で手漕ぎの小舟に乗り支流の川を下って行きます。 何処へ行くか分かりません。 私は(中国の皇帝の命令で) 「お釈迦様の湖を出発して、 支流を下り、海に行くか?何処かの川と合流するのか?行きつく所迄行って見てこい」と言われて、 湖から支流に漕ぎ出した所です。私はこのような霊視をして不安になり、お師匠様に、訪ねました。 (一度神様の事をしようとしたら、 あまのじゃくではあかん。 中途半端ではダメやということや)、 と指導していただきました。とてもとても綺麗な光景で目に焼き付いています。蓮の花は泥の華とも言われて 泥の湖でも綺麗に咲き誇ります。何年か前、日本で古代の蓮の花の種が発見され、それを研究者が、 見事に咲かせたというニュースを見ました。蓮の花は生命力が強いし、 あんなに綺麗に何千年経っても 咲くのですから、お見事です。弁天様が (仏教のおお釈迦様も蓮の華の (霊的)湖で悟りを開いた)と おっしゃってくださいました。 そして 「中国の皇帝はその中から 独自の修行をして 儒教や仏教を発展して行った」というのです。 それを日本の雰囲気の弁天様は ニコニコして 全てを見守って下さ
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天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)

「唯我独尊」とは自分が一番だとうぬぼれていること、ですね。それは、とても強い言葉のように感じます。お釈迦様が誕生された時に言われたとされる、「天上天下唯我独尊」が元だそうです。生まれてすぐ、四方に七歩歩いて、右手で天を指し左手で地を指して言われたという逸話があるのですね。 天上天下、唯我独りのみ尊し「この広い世界で、私だけが尊い存在だ」「宇宙の中で、私より尊い者はいない」?お釈迦様ゆえ、それはそうでしょうとも・・・。しかし、お釈迦様のみならず、かけがえのない個人の尊厳を示したものだともいわれているそうです。私=全ての人や物と解釈するのですね。生きとし生けるもの、皆それぞれが尊いということですね。I love myself !でまいりましょう(*'▽')
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犀の角のようにただ独り歩め

こんばんは。LAMPLIGHTER(ランプライター)という屋号でタロット占いを中心としたサービスを提供しております。タロット占い師のRachel(レイチェル)と申します。一瞬でもブログに立ち寄って下さり本当にありがとうございます。第21回のブログは「犀の角のようにただ独り歩め」をテーマに投稿します。この言葉に出会ったのは私がインドに一人旅に出かけていた時にバラナシ(ガンジス川(ガンガー)で有名な町)に滞在していた時だったと思います。日本語の書籍が宿泊していたゲストハウスに置いていてそれで知った気がします。今日お客さまの鑑定をしていて、10年程忘れていたこの一節を思い出しました。「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」はお釈迦様の言葉で、スッタニパータという仏教経典に掲載されている一節です。有名な言葉なのでご存じの方多いかもしれません。荒涼とした大地を歩く一頭の犀のどアップと「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」という見開きいっぱいの文字に20歳前後の私は「なんかカッコいい!」と思った記憶があります。サイは基本的に単独行動を好む生き物だそうで、犀の角は孤独を表すそうです。お釈迦様はとかく孤独を求める印象がありますが(妻や子供を置いて悟りの旅に出かけたり)、孤独の中にこの世の真理があるのでしょうか。Rachelの解釈ですと「本当にやるべき事は一人でもやる覚悟を持ってね」ということだと捉えています。いくらでも誰かと繋がれる現代だからこそ、誰かの評価や言葉によって自分の意思がブレてしまう時があります。繋がりがかえって孤独感を強めることもありますよね。お釈迦様のように一切合切の関係を断ち切
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光たちの声 石に宿る意識 子供の様に純粋無垢な瞳

豊かなエネルギーが流れる、ゆったりとした庭園で、ある親子が、降り注ぐ太陽の光と戯れていた。白髪混じりの父は、晩くに授かった小さな息子を愛おしそうに見つめ、子にたずねた。『この石を見てどうおもうか。』答えを求めぬその問いに、父は、立て続けに語った。『この石は、仏様だよ。』その子にとって、どこからみても岩にしか見えないその石を、不思議そうに見つめ、少しの沈黙の後、『へぇ〜』上の空で答えた。するとその時、『石』がささやいた。『その子には何の概念も知識もない。だからこそ見える「聖なる瞳」がある。そこに在る聖なるいのちの息吹を感じ取っている。循環する生命の輝きを、生きる叡智を得ている。純粋な意識達は、あるがままの色や形を鮮やかに楽しめる心がある。ただ見るものを概念や知識で曇らせない、限りなく透明な瞳がある。そして、内なる光の子供の目は自分に嘘をつかない。内なる光の子供の目は自分を欺かない。全ての真実を見透す目に偽りは通用しない。 自分自身に忠実であれ。子供の様に純粋であれ。』子供の時に、はじめて花を見た時のその色彩、その造形、息を呑むような輝き、心踊るようなときめき、宝物が散りばめられたこの地球、あまりに美しい自然という神秘、はじめて、『あなた達は一体どこからくるの』いのちの不思議に出会い、『知りたい』という欲求を教えてくれた、神の創造物に出会えた感動と喜びを、今ここに。私は全てをただ愛している。
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光たちの声 お釈迦様 空海さん 360度全方位の豊かさ

今、空海さんから、新たな領域で、更なる豊かさを受け取り拡大するために、自分自身を360度どの角度にも意識を開き続けて、運動させ、循環させバランスを取ること、その様なメッセージを受け取っています。『球体をイメージして、中心点に自分を置き、吸う呼吸と共に球体全方位の角度360度前後左右上下から自分に光エネルギーが集まり、吐く呼吸と共に自分から360度全方位へと光エネルギーが放たれ球体が満ちて拡大してゆく。』この様なイメージです。空海さんは、『豊かさはどの角度からでもやってくる。こだわりや選別によって、自分の意識360度どの角度も閉ざすことのない様に。』この様におっしゃっています。ある一定の領域までは、自分のある側面に磨きをかけるために集中的に一方方向に取り組むことがあっても、次の領域においては、全方位動かしながらバランスをとりながら相乗効果で高めていく必要があります。そして、これに抵抗する意識は、『こだわり、選別』好きなものにこだわる、ある程度磨きがかかると、その先に進めないと感じます。それは、今までのやり方を見直し自分の他の可能性に意識を向けてください、というサインです。そして、今までのやり方に執着せずに新たな方向へと意識を向け動き出すと、過去やってきた事が思わぬ形で活かされ、純粋な愛の意識から好きな事に更に磨きをかけながら、新たな視点で自身の純度を高めながら新たな世界を拡大してゆく事になります。ここで空海さんは、『自分の内に眠っている可能性資質全てを今に引き出す、という意識で自分を活かす、この作業が人生だ』とおっしゃっています。ここで、これしか嫌だとか、こうならないと嫌だとか、
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お釈迦様の言葉「人生は苦に満ちている」──その意味を、やさしく照らしてみる。

お疲れ様です。占い師・心理士の咲良です。今日のテーマは、仏教の教えの中でも有名で、少し重たく感じるかもしれない言葉についてです。「人生は苦に満ちている」これは、お釈迦様が悟りを開いたあとに説かれた教えの中でも、とても大切な言葉。正直なところ、私は昔この言葉を聞いたとき、「えっ、人生ってそんなに辛いものなの?」と、どこか絶望的な気持ちになったことがあります。でも、心理学を学び、スピリチュアルな世界に触れ、そして実際にいろいろな経験を経てきた今は、この言葉が私たちをそっと抱きしめてくれるような、優しいメッセージであることに気づくようになりました。今日は、そんな「人生は苦に満ちている」という言葉の本当の意味を、私なりに噛み砕いて、皆さんにお伝えしてみたいと思います。「苦」とは、悪いことではない私たちは「苦しみ」や「辛さ」と聞くと、できるだけ避けたいもの、乗り越えなければならないもの、と考えてしまいますよね。でも、お釈迦様の教えの中で言う「苦」とは、「悪いもの」ではないんです。仏教で語られる「苦」とは、人生の中で自然に起きてくる避けがたい現象のこと。たとえば、誰しもが経験する「老い」や「病」、そして「死」。「大切な人との別れ」や「思うようにいかない日々」。こうした出来事が、私たちの人生にはあたりまえに存在しています。お釈迦様は、そういった人間として避けられない8つの苦しみを「八苦(はっく)」として説かれました。八苦とは何か?八苦とは、次の8つの苦しみを指します。その中でも、最初の4つは「四苦(しく)」と呼ばれ、人生の基本的な痛みとして捉えられています。生苦(しょうく) この世に生まれて
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カロリーゼロで驚きの甘さ!『甘茶』がもたらすデトックスと開運

開運は良いことを取り入れる方法と、悪いことを寄せ付けない方法の二つを行うことで最強度が増します。 毎日の生活に少しでも健康と開運を取り入れたい方におすすめのお茶が「甘茶(アマチャ)」です。その名の通り砂糖の数百倍もの甘さを持ちながら、カロリーゼロという夢のようなお茶。この甘茶を生活に取り入れることで、健康だけでなく開運のサポートもしてくれるのです。 今回は、甘茶の由来や効能、そしてその楽しみ方について詳しくご紹介します!★甘茶の由来と伝統的な背景甘茶は古くから日本人に親しまれてきたお茶です。特に「花祭り」や「灌仏会(カンブツエ)」と呼ばれる仏教行事では欠かせない存在。これはお釈迦様の誕生日を祝う行事で、4月8日に行われます。この日に、誕生仏に甘茶を注ぐ儀式があります。 この習わしの由来は、お釈迦様が生まれたとき、九頭の龍が天から甘露を吐いて産湯を満たしたという伝承に基づくものです。この「甘露」を甘茶に見立てて用い、甘茶をいただくことで無病息災を祈願すると言われています。 現在でも花祭りの日には、多くの寺院で甘茶が振る舞われることがあり、このお茶を飲むことで健康を祈る風習が続いています。★甘茶の特徴と魅力 甘茶の最大の特徴は、その甘さとカロリーゼロであること。 砂糖の数百倍もの甘さを持ちながら、カロリーがないというのは、健康を意識する現代人にとって非常に嬉しいポイントです。この自然な甘さは、食事制限中の方やダイエット中の方にもぴったりです。 さらに、甘茶には以下のような特徴があります: • 天然の甘み:人工甘味料とは違い、身体に優しい甘さを提供します。 • クセのない味:適切に抽
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4月8日は花祭り(灌仏会)

今日4月8日は「花祭り」というお釈迦様のご生誕を祝う日です。 「灌仏会」(かんぶつえ)とも呼ばれています。 旧暦の4月8日に行うところもありますが、宗派や地域に関係なく、多くのお寺で花祭りは行われています。 また、祭りを否定する仏教において、唯一「祭り」の名の付く行事です。 西洋のクリスマスは皆さんご存じでも、花祭りは意外に知らない人も多いと思います。 お寺ではこの日に何が行われているかというと、お釈迦様が誕生した時の姿をした像である「誕生仏」に甘茶をかけてお祝いするという行事が開催されています。 かつて、天に九匹の龍が現れて甘い水を吐き、それをお釈迦様の産湯に使ったという説話があります。 「花まつり」は甘茶を潅(そそ)ぐ行事でもあるので、「潅仏会(かんぶつえ)」とも呼ばれている由縁でもあります。 ところでこの誕生仏は、右手は天を指し、左手は地上を指した姿をしています。 これは、お釈迦様が産まれてからすぐに立ち上がって七歩歩き、右手で天を左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ(が)ゆいがどくそん)」と話したというエピソードが基になっているといわれています。 この「天上天下唯我独尊」を、どう訳すでしょう? なんとなく文字面からして、直訳すると「この世界に私よりも尊い存在はない」と捉えてしまいますが、お釈迦様がそんなことをおっしゃるはずはありません。 この言葉の中の「我」はお釈迦様自身ではなく、私たち一人一人のことです。 そして「独尊」とは、たった一つの尊い命ということです。 決して自分一人が偉いという意味ではありません。 お釈迦様は現代の私たちにも、一人一人がかけ
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2022年4月8日 ソードのページ 正位置 タロットカードで本日の行動指針をお伝えします。

本日、2022年4月8日は、暦のうえで「スペシャルな日」となっています。まず今日は、「一粒万倍日」(いちりゅうまんばいび)という特別な日になります。「一粒万倍日」は、「一粒のモミが万倍にも実る稲穂になる」という意味があり、何かをスタートさせるのにはもってこいの日になります。また、「神吉日」(かみよしにち)といって、神社にお参りにいったり、先祖の供養をするとよい日になります。さらに本日4月8日は、花祭といって、お釈迦様の誕生をお祝いする日でもあります。この「すばらしい吉日」に、あなたの「新しいステージ」に向けて一歩踏み出してください。ということで、本日の行動指針ですが、ソードのページ 正位置が出ました。ソードのページは、正位置だと軽やかで柔軟性のある思考自由・方向性を持たない行動力などを表します。一定の方向性を持たない軽やかな風のイメージですね。ということで、本日の行動指針としては、「ソードの風に乗って軽やかに柔軟性を持って思考する1日としましょう」ということだと解釈しました。神社にお参りなど行くと、いい考えが浮かんでくるかも知れませんね。みなさんはどう受け止められましたか?色々と解釈してみてくださいね。それでは、今日も良い一日をお過ごしください🥰***************************************** ということで、あなたも「タロットカード」 によるリーディングを体験してみませんか? ご興味のある方は             ↑こちらのサービスをご利用ください。 フーチ(ペンデュラム)による鑑定にご興味のある方は             ↑こちらのサー
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なんとかなるさ~

よくメッセージに、流れに身を任せてって届けられるけれど簡単じゃないよね・・・。そう感じます。うまくいっているなって感じてるときなら簡単だけど”自分がうまくいっていない”と感じるときは心は騒ぎ出しちゃうよね。昨日のひとことメッセージも”身を委ねる勇気”って届いていたから一日感じてました。そんな時、目にしたのがお釈迦様の言葉だという『タタータ』起きることが起きる。それ以外は決して起きない。こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。それ以外は決して起きなかったのだから。先人の言葉、有難いですね。私たちは振り返っても、悲しいことや苦しいこと、また楽しいことや喜ばしいこと・・・たくさん体験してきたけれど、私たちがどう感じようとそれはそうなるようになっていたということ。これからだって、起きることしか起きない。流れと共にいたらいい。任せたらいい。後悔する必要も、心配することもないんだよと伝えてくださってるのかなと感じます。私たちはそれぞれ全体の部分であって全体が見渡せないから、何も解らないから怖くなることもあるけれど体の働きもなぜだかわからないけれど完璧に動いてくれてるように私たちも完全なる動きの中に今ここにいる。どうあがいたって、それはそのように起きている。”引き寄せの法則は??”と思う方もいるかもしれないけれど、これは部分の視点。何も感じずに生きることから意識的に生きる成長過程の通過点のように今では感じています。全体に任せるしかない。それならば・・・なんとかなるさ~なんだっていいさ~心地で、今このときを気楽に全体にお任せしてしまいましょう。怖くなったとき、そんな風に
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涅槃会(ねはんえ)

涅槃会(ねはんえ)と聞いて、知っている人は少ないんじゃないかな?僕も知らなかったよ。涅槃会は、仏教の行事のことで、お釈迦様が亡くなった日に実施する法要のことなんだって。仏教の中だと三大行事の1つらしいから、かなり重要な行事だよ。涅槃(ねはん)っていうのは、サンスクリット語で「消える」とか「消滅する」という意味で、お釈迦様が亡くなった日に会を開くから、涅槃会っていうんだね。お釈迦様が亡くなった日が、昨日の2月15日だよ。涅槃会は、毎年2月15日に行なわれるよ。ただこの2月15日は本来、旧暦の2月15日だけど、新暦でもそのまま2月15日にしているらしいよ。寺院によっては、新暦の3月15日ごろにする場合もあるんだって。そして、この涅槃会で行なう行事が、「団子まき」というお団子をまく行事だよ。このお団子を仏舎利(読み:ぶっしゃり、意味:お釈迦様が火葬したあとの遺骨のこと)に見立てているんだよ。このお団子を食べるとその年は1年、健康に過ごすことができるらしい。僕らの家がある奈良とか隣の京都辺りは、昨日はこの涅槃会をしていたかもしれないね。
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第四回 布施 ~法施~

前回はお釈迦様が教えられた、「六つの幸せになる種まき(幸せになる行い)」をご紹介いたしました。今回はその内の一つ「布施」についてお話いたします。「布施」とは、一言で”親切”ということですが、色々の親切、「布施」が説かれています。大きく、「財施」「法施」「無財の七施」が、説かれます。今回はその中の「法施」についてです。〇「法施」法施とは、人(命あるもの)に仏教の真実を伝えることを言います。それが信頼に値するものであれば、伝えるということはとても大事な尊い善行になります。もちろん、それを選ぶかどうかは、それぞれの方に委ねられますが、情報が入って来ず選択肢にもない状況でしたら、たとえそれらが妥協案であっても、知っている情報の中から選ばざるをえません。例えば、重い病にかかった時、よい病院や腕のいい医師があったとしても、情報として入って来なければ、元より”選ぶ”ということができません。ですから、どんなことがあっても絶対に崩れない本当の幸せになれる仏教の真実を、お一人お一人にお伝えすることは、大変に尊い布施行なのです。
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「誰を信じたらいいの?」スピ迷子に贈る、ブッダの言葉【脱・依存スピ!】vol.12

こんにちは、松河沙奈(まつかわ さな)です。ブログでは、人生をちょっとラクにするヒントや、スピリチュアルとの付き合い方を発信しています。スピリチュアルに足を踏み入れた人なら、一度は迷ったことがあるかも? ✅「願えば叶うって言われたのに、叶わない…」 ✅「あの人は“波動”って言うけど、この人は“意図”が大事って言うし…」 ✅「結局、何が正しいの?何を信じたらいいの?」 昔の私も、いにしえのニューエイジから、王道の引き寄せまで、スピの教えをハシゴしていました。 だけど、色んな人が色んなことを言うもんだから、混乱するばかり。 特に最近はタフティやトランサーフィン理論から、 「願望が強すぎると執着になって、願いが叶わない」とも言われ出し 強くイメージを想像して叶えていく従来の引き寄せとの関係について沢山の人が混乱していますよね(;^ω^) そんな中私が「なるほど!参考になる!」と思ったのは、 2500年前のお釈迦様(ブッダ)の、とあるお話です。 カーラーマ村でのやりとり ある日、「色んな聖者が来て、それぞれ“自分こそ正しい”って言う。いったい誰を信じたらいいんですか?」と悩むカーラーマ村の人々に、ブッダはこう答えました。 「聞いたからといって信じるな」 「伝統だからといって信じるな」 「権威のある人が言ったからといって信じるな」 「経典に書いてあるからといって信じるな」 そして、こう続けます。 「それが善いか悪いか、自分の経験と理性で判断しなさい」 これって、めっちゃ現代にも通じません? 2500年前のインドでも、令和の日本でも、人間の迷いは同じなんだな〜って感じます。 「10のことを
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お釈迦様の予言

仏法が滅しようとする時、 女人は精進して常に徳を積むが、男子は怠けて信心がない。 仏法が滅ぶ時、天の神々はみな涙をこぼし、泣き悲しむ。 作物という作物は実をつけなくなり、 疫病が流行し、死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。 税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。 悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。 確かに、言われてみると現在の世相はお釈迦様の残したお言葉に添っているように感じられます。 かつては、お店に行っても、近所の方とちょっと話すにも、 もっと温かみがあり、 「人を人とは思わない」ような無礼なことをする人は、 少なかったように感じます。 ネットニュースや、 テレビから聞こえてくる事件・事故も、 この頃は悍ましく、 (人がそんな恐ろしいことをするのか) とゾッとするようなこと、考えてしまうような事件・事故が多い気がします。かつては「嫌なことが起こっても、信じられる何か」や、 「もっともっと良いことが世の中にはあるのだから」 と無条件で信じることが出来てきました。 その大切な「何か」が人の中から失われつつあるのが、 現代かもしれません。スマホもネットも余り普及せず、 今より不便で嫌なことも多かったかもしれません。 むしろ今の方が、一見自由で、 個人が言いたいことを言えているように見えますが、 童話:「モモ」のように、 灰色の男たちから大事なものを、 代わりに奪われている気がしてなりません。「先のことを考えてクヨクヨしたって仕方ない。 起こる時は起こるんだから、その時何とかするしかない。」 本当に、これが答えだと思うのです。 空を飛ぶ鳥は、種を撒
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ミロクの世は元に戻る。菩提心が重要

仏行では発菩提心とは、悟り(精神)を求め生きとし生けるものすべての幸せの為に自分自身が仏陀の境地(自分の本性)を目指すこと、また目覚める事でこれを発菩提心(ほつぼだいしん)と言います。神道ではこれを「宮柱太敷立て」といいどちらも同じ意味です。私には難しいの無理というお考えでも知らず知らず誰でも菩提心は発動しています例えば、可愛い犬や猫を見て慈しむ思いしたり好きな人と一緒にいてドキドキしたりこの人の為に何とかしてやらねば・・・家族、会社の為、懸命に働こうこういった常に日常にありふれる心も菩提心であると思いますですから精神性(スピリチュアル)に興味をもった、学びたい何かの精神性を求めて自身の発願となるのを見つけようとするのも菩提心だから特別のものではなく、難しいものでもなく神や御仏は別の異なる存在でもなく自身の心が神仏であるという事を忘れてはいけない菩提心のエネルギー源は人の心にあるものです良い言葉、良い行い、良い思いで土台が作られていますしかし、何もわからない人に説明しても、真実を教えたりしても話を聞く耳を持たない人の為にお釈迦さんは、あなたはあっちへ、あなたは向に行って学びを知りなさいと言ったわけですこれを方便と言います。人は方便がないと真実には耳をかたむけません最初から真実いうと受け入れきれないからお釈迦さんは方便を使いましたあなたが悩む理由は煩悩と言わないと元の原因を教えても人はそんな事はないと受け入れしないんですねですから、すべてはみんな心が作り上げます般若心経の最後の段にかいてあります羯諦羯諦は、人はどうしても何か困った時はギャーギャーと言う波羅僧羯諦は僧はあきらめて生
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正しく諦める

苦しみから逃げる。嫌なことから逃げる。全然OK。でもそれをしなければ次に進めないとしたらどうですか。孫悟空はお釈迦様の手のひらから逃げられなかった。 勇気を出して行動しよう。  
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