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二人目のお母さん

今日は二人目のお母さんのお話。御嶽拝みで辛い思いをしていた私。ある日「今日もまた色々言われるのかなぁ。。。」と思いながら御嶽へ行き拝みをしていると、やっぱり誰かの視線が気になる。その頃はもう完全に御嶽拝みがトラウマになっていて、早々に拝みを切り上げて帰ろう。とした時でした。ある女性が近づいてきて、「あんたは人助けをしているね。キレイな着物をきているさぁ。」と声をかけてくださいました。てっきり嫌な事を言われると思っていた私は、「あ、はい。。。ありがとうございます。。。」と返事をするのがやっと😅するとその女性が「あんたは若いのに偉いさぁ。あんたみたいな人が増えてきたらおばさんも安心だよ。」と笑顔で話してくれ、そこから暫く御嶽でのユンタク(お喋り)が始まりました。ユンタクの中で、その女性が「今日はもっと早い時間に来る予定だったのに、色々と時間がかかってしまってこの時間になったんだよ。でも今日はあんたに会うためにこの時間になったんだね。あんたに会えて嬉しいさぁ。」と話してくれたので、「よかったらお名前教えてください。」とお願いしたところ、何と!!私が近々伺いたいなぁ。と思っていたユタさんでした。その事を女性に話すと女性もまたビックリ!!笑後日会う約束をして御嶽を後にします。それが二人目のお母さん「Kおばちゃん」との出会い。ある日Kおばちゃんに拝みをお願いした時、私の家に入るなりポロポロと涙を流して「misa、あたはかなり苦しんでここまで来たんだね。私があんたの立場だったら頑張れなかったよ。よく生きていたね。。。ありがとうね。」と😭😭😭「私に出来ることがあったら何でもしてあげたい。」と有
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御嶽拝みでの出来事

今回は、御嶽拝みでの話。祖母から神人の引き継ぎをした私は、祖母に仕立ててもらった着物を着て御嶽拝みをするようになります。その頃私は30代。周りの方からは「若い」と見られていたのでしょう。御嶽拝みをする度に、色んな言葉を投げかけられるようになります。ある時、イビ(御嶽の中で、お供え物とお線香を出して拝む場所)の前で拝みをしていると、「あんたはどこの人か?着物を着て座っているけどユタの真似か?ヤラビ(子ども)のくせに。」と言われ。。。またある時は、御嶽の近くの道路工事をしているオジサン数名に「あんたはユタな?おじさんが見ていてあげるから、一生懸命拝んでごらん。頭がおかしくなっているのか?」と言われ、周りのオジサン達がクスクス笑う。という出来事があったり。拝みの最中にそういった言葉をかけられるため、拝みに集中できません。なので、拝みが終わった後もスッキリせず家に帰って寝込む事もありました。似たような事が何回か続き、私は御嶽に行くことが辛くなっていきました。もちろん家族に相談できる人はおらず、祖母ももう他界していましたので、私は一人で悩む日々が続きます。「着物を着ないで拝んだらダメかな?」「御嶽、誰もいないと良いけど。。。」なんて思いながら、御嶽に足を運んでいました。でも、御嶽拝みは良い日を選んでする訳ですから誰も居ないなんて事はありません。毎回拝みをする人で賑わっていました。「悪いことをしている訳じゃないのに、何でこんなにオドオド、ビクビクしなきゃいけないんだろう。」今考えると、これも修行ですよね。そんな日々が2年ほど続いたある日、御嶽拝みであるユタさんと知り合います。私の二人目の「
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お別れ

今回は、バトンタッチのその後。。。祖母は私に「神人の引き継ぎ」をした後は、本当に穏やかな生活を送っていました。歳のせいもあり、杖→車イス生活になりましたが毎日ニコニコ😊正直、神人だった頃の祖母と同一人物とは思えないほど。私は週末の度に祖母に会いに行っては、色んな話をして(御嶽に行ったあの日から、神事の話は一切しなくなりました)一緒に過ごしました。祖母の家に入ると、以前のような独特な「ユタの家」の雰囲気が一切なくて少し寂しい気もしましたが、子どもに戻ったような祖母の姿がとても可愛らしかったです。私が「ばぁちゃん、今日は何したの?」と尋ねると、祖母は「今日はね、学校に行ってきたよ。(多分デイサービスの事)明日もね、みんなと学校に行くんだよ。」と返事があったり。。。本当に楽しそうで、今まで忙しく神事に従事していた分、青春を謳歌しているような感じでした。しかし、その時は突然やってきます。。。ある日、いつものように夕食をとっていると珍しく祖父からの電話。「おばぁが今朝から体調崩して、今病院にいるよ。もしかしたら明日まで持たないかもしれない。病院に来られる?」との事。私は急いで病院へ向かいましたが、祖母はもう意識はありませんでした。そして日付が変わる頃に、静かに天国へと旅立ちました。享年89歳。後日、祖母の遺品を整理していると、生前に神事に使っていた道具が沢山出てきました。そのうちの一つ『ジョーカビ』。神事の際に、お供え物と一緒に供えるもの。盃(さかづき)として使用します。本来は、12枚で1セット。まだ真新しいジョーカビを数えてみると、12枚だったり、13枚だったり。。。中には10枚のもの
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沖縄の“ユタ”と呼ばれる霊能者さんのお話

皆さん、こんにちは!本日もアクア龍一のココナラ占い、開店しております(^^) 今からもう15年ほど前の話になりますが、沖縄のユタと呼ばれる霊能者さんに霊視をしてもらったことがあります。 その方は沖縄から上京して都内でサロンを開いていたのですが、そこは誰かの紹介でしか行けない完全紹介制のサロンでした。 ある日、友達の腕がキラキラ光って見えたことがあります。見たことのない数珠を付けていたので、「それどうしたの? 何か光って見える…」 と思わず口走ったところ、「えー!? マジで分かるんだ!?」 と仰天されたのを覚えています。 友達は数珠を購入した際にユタさんから、 「パワーを入れたので、霊能力が高い人には光って見えると思います」と言われていたらしいのです。 私はすぐに「紹介して!!!」と友達に頼み込み、その方に連絡を取りました。 すると電話口に出たユタさんからは、 「あなたは霊能力が高いのですが、自分自身の守り方を知らないので、悪いものも引き寄せやすいですね。今、とても悪い状態なので、私のところにくるまで、事故などには十分気を付けてください。憑いてるものがここに来るのを既に嫌がってます」 と言われました。 こ、怖いぢゃん…。その後、自分史上最高に事故などに気を付け、無事にサロンへとたどり着きました。 詳細に書くと長くなり過ぎるので割愛しますが、サロンでは数々の不思議体験や、悪いものから身を守る方法などを教わりました。中でも驚いたのは、数珠を購入して、その数珠にパワーを入れていただいていた時のことです。ユタさんの目が白く光って見えたのです。そして、その数珠はそれから数年後、私が家の玄関
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バトンタッチ

ミートゥバイトゥーの神様をお迎えした私は、少ないながらも依頼者の判事を取ったり、ニガイ(拝み)に行ったり、御嶽まわりをしたりしていました。体調の方は良くなったり悪くなったりを繰り返していましたが、何とか自宅で生活が出来ていました。そんなある日、いきなり祖母から電話があり、「misa、あんたを御嶽に連れて行かないといけないよ。今すぐ準備しておばぁの家に来なさい。」との事。その日の私はあいにく体調が悪く、祖母に「体調悪いんだよね。今度じゃダメ?」とお願いするも、祖母からは「今日じゃないとダメだ。」と珍しく強引な返事が返ってきました。私は重い体を持ち上げ、準備をして祖母の家に向かいました。祖母はすでに準備を終えていて、私が到着するとすぐに御嶽へと出発しました。「おばぁの神様がいる御嶽に行こうね。」(マウをカミる際に何ヵ所かの御嶽を拝み、その中から自分のマウの中心の神様が決まります。)祖母の言葉を聞いた私は一気に緊張が走り、「えっ!!そこの御嶽、私が入っても大丈夫なの!?」と叫んでしまいました😅そこの御嶽は男子禁制で、入ると命を取られると有名な御嶽。もちろん女性もユタ、神人以外は立ち入り禁止とされている有名な御嶽です。祖母は「大丈夫。ちゃんと許可をもらってきたからね。」ニコニコしながら私をなだめてくれました。御嶽に着くと祖母が何かを取り出し「misa、これはあんたの為に準備した着物だよ。この御嶽には着物を持っていないと入れないからね。」と私に差し出しました。祖母が私の為に準備してくれた着物です。現在もこの着物を着て神事をしています。御嶽の入り口で着物を着て、祖母と私は御嶽へと入ります。
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マウをカミる

「マウをカミる」とは、私の生まれ島の言葉で「神棚を設ける」という意味です。※マウ神(マウガン)とは、個人の守り神の意で、昔(現在の70代~80代)の方たちは比較的設けている方が多くいます。昔は体の弱い方、病気がちな方はマウを持つことが多かったようです。ちなみに、マウを持っている方が全て神事に携わるという事ではなく、マウをカミてから更に神様から選ばれた方のみ、神の道に入ることになります。三途の川を渡りかけたものの、無事に戻ってきた私は祖母に神棚を作って欲しいと相談をしました。神棚を設ける際にも細かいルールがあり、依頼する側と依頼される側の干支が合わないと作る事が出来ません。幸い私と祖母の干支は合っていたので、祖母が引き受けてくれる事になりましたが、なんせ私はその当時まだ30歳。祖母は「まだまだ若いけどねぇ。。。マウを持つという事は大変な事だから、もう少し子どもが大きくなってからでも良いんじゃないかね?」と物凄く迷っていました。今となっては、祖母が私のマウを作ることにかなり迷っていた理由が分かりますが、その当時の私は、マウを持てば体調が回復する。 またすぐに元気になれる。そう思っていたので、一日でも早くマウを作って欲しい。と祖母にお願いしていました。マウをカミる時は、父親の出身地の御嶽、母親の出身地の御嶽をそれぞれ拝み、自宅に戻ってそれぞれの御嶽からお連れした神様を香炉へ迎える拝みをします。私も祖母と御嶽を拝み終えて自宅へ戻り、準備していた香炉にお線香をあげると、祖母が「misa、あんたはカンヌフファ(神の子)だ。神の道に入らないといけないね。今日はお祝いだ。」涙を流しながらそう言
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三途の川

私は息子を抱っこした事がほぼありません。重度のカミダーリの中で生まれた息子。幸い大きな病気もなく、元気に育ってくれました。息子を布団に寝かせたままミルクを飲ませ、私自身もほとんど寝たきりの状態で子育てをする。そんな日々でした。自分の神棚が持てないので、毎日ヒヌカン様(沖縄の台所に祀られている火の神様)へ手を合わせ、「お願いです。睡眠だけでも取らせてください。」とお祈りする日々。育児はおろか、自分の事も満足に出来ない私は、いつからか「もう楽になりたい。死にたい。」と思うようになっていました。そしてある日、インフルエンザから重度の肺炎に罹り、入院することになります。病院で抗生剤の点滴をし治療を始めましたが、体調はどんどん悪化し遂に意識がなくなってしまいます。意識がなくなった私は、大きな川の前に立っていました。向こう岸にはきれいなお花畑。女性が手招きをしています。「こっち側は暖かいよ。痛みも苦しみもないよ。早くこっちにおいで。」私は「向こう側に行きたい。でもどうやって渡ろう。」向こう岸へ渡る方法を考えている私の横に、突然白い着物を着た女性が現れ「本当に向こう側に渡るのか?向こう側に渡ったらもう二度と息子には会えないよ。」と私に話しました。「えっ、もう息子に会えないの?それは嫌です。」そう言った私に、女性が「もう神棚を持ってもいいよ。神の道へ入りなさい。」その言葉とともに、女性が私の足元からスーッと枕元へ移動し私に何かを手渡しました。高島暦です。沖縄のユタさんが拝みの日にちを選んだり、判事に使用する暦です。暦を受け取った瞬間に私は現実世界に戻ってきました。目を開けると病室には家族が集ま
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ユタさんを訪ねる

ある日突然、カミダーリが始まった私は藁にも縋る思いで生まれ島のユタさんを訪ねることにしました。その当時は祖母はまだ現役の神人でしたが、昔から神人は身内の判事は出来ない。 という言い伝えがあるので、全く知らないユタさんの元へ足を運びました。そのユタさんは「あなたは自分のことを普通の人だと思っているの?神事をしなさい。 神の道に入りなさい。」開口一番、私に言いました。 「でもね、子どもを産んで3年は神事は出来ないからもう少しの辛抱だね。」 (その他にも神事についてはかなり細かいルールがあります)一日も早く楽になりたい私は、ユタさんの言葉が受け入れられず、その後もあちこちのユタさんを訪ねました。それぞれ仰ることは若干違いがあるものの、皆さんに共通して言われたのは「神事をしなさい。神の道に入りなさい。」というものでした。それから数か月後、無事に息子を出産し薬を服用できるようになった私は、毎日痛み止めを飲みながらの育児が始まります。その間もずっとカミダーリは続き、全身の激痛、夢、霊障が酷くなり全く眠ることが出来なくなっていきました。次回はカミダーリの最中に最も強烈だった出来事について書きたいと思います。今日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。素敵な週末をお過ごしください💖☆misa☆
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神障り(カミダーリ)の始まり

神人、ユタは精神的な病、身体的な病を患う事が多い。それはユタ本人の場合もあれば、家族がこのような病を患う事もある。実際、私の周りの神人、ユタさんもほぼ全員がこのような状況を経験している。そう考えると、長い長い神障り(カミダーリ)を経験したのが息子ではなく自分で良かったと心から思える。ここからは私の想像を絶する神障り(カミダーリ)について書いていきます。私の神障り(カミダーリ)は、ある日突然やってきました。私は子どもの頃からいわゆる健康優良児。霊感があり、色々なものが視えてはいましたが、健康に影響を及ぼす事はありませんでした。小学、中学、高校と部活に励み、沖縄本島へ移住してからも趣味でフルマラソンに出場するなど、体を動かすことでストレスを発散していました。もちろん風邪をひくこともほとんどなく、正直「保険証なんて要らない。」と思っていたほど😂そんな私がある日突然、全身の痛みに襲われ人生が180度変わってしまいます。神障り(カミダーリ)が始まったのは、何と息子がお腹の中にいる時。妊娠6ヶ月の時でした。当時の私は妊婦にも関わらず、毎日元気にウォーキングをしていました。神障り(カミダーリ)が起きる前日も5kmほどウォーキングをしたのを覚えています。翌日、左肩の激痛で目覚めた私。「寝違いかな?お腹大きいから変な体制で寝ちゃったかな?まぁ、3日もすれば治るだろう。」その時はそう思っていました。しかし、肩の痛みは一向に良くならず。。。痛みは段々と全身に広がっていきました。激痛で眠れない日々。病院へ行っても、「妊婦だからレントゲンを撮る事も、薬を出すことも出来ない。」と言われ、泣きながらただ時間
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幼少期の私

皆さま 今日も私のブログを読んでくださり、ありがとうございます☺ここからは、私の幼少期~神障り(カミダーリ)の始まりについて少しづつ書いていこうと思います。私が3歳~4歳のころに父親が大病を患い、母親は看病のために長期間家を空けることが多くなりました。私と2歳上の兄は祖母の家と叔母の家を行き来する生活になりました。その頃はちょうど祖母の神人としての仕事が多くなったタイミングで、祖母の家には絶えず判事を依頼する人が出入りし、祖母もまた神事をする為に御嶽へ行ったり、依頼者の方の家に行ったり忙しくしていました。本来なら、神事をする際は祖母は一人で行動するはずですが、幼い私を家に置いて出かける事ができなかったのでしょう。私を連れて、神事の場に行くようになりました。「おばぁの仕事が終わるまで、お利口にしているんだよ。」そう言われ、私は祖母の神事が終わるまで側で大人しく待っていました。多分、その時から色々と学んでいたのかな?友だちと遊んだ記憶や保育園で過ごした記憶はほとんどないのに、祖母の神事をしている姿やお供えもの、お線香の出し方などは全て鮮明に覚えています。そして徐々に「ばぁちゃん、私もウートートー(拝み)の準備したい!!」と言うようになっていきました。当初、祖母は私が神事に使う道具に触れるのを禁止していましたが、私がしつこく(笑)お願いをするので、準備を手伝う事を許してくれました。今思い返してみると、祖母は私が神人になるのかどうか。。。を判断していたのかもしれません。4歳の私がお線香を束ねる姿を見て、祖母は物凄く戸惑った表情をしながら、でも半分は嬉しそうに「あんたには神事をさせたくな
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自己紹介

初めまして♪☆misa☆と申します。私のブログに来てくださり、ありがとうございます。私は沖縄の離島に生まれ、幼少期から「神人(カミンチュ)」だった祖母と共に地域の神事、御嶽(うたき)←沖縄の聖地での拝みの手伝いをして育ちました。普段は「神人」として活動しながら、会社員の顔も持つ4〇歳です。大学生の息子が一人います。神人としての主な活動は、御嶽拝み、健康祈願、屋敷の拝みなどをしています。また、対面での判事や結婚、お引越し、開店・開業などのお日にち選びなどもお受けしております。今後は電話鑑定など、新たなメニューも追加予定です。悩みや心配事など、お一人で悩まずお気軽にご相談ください。今後はブログの方も投稿していきますので、読んで頂けると嬉しいです☺☆misa☆
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【取説】神んちゅへの道のり~久遠のチヂアキ~②

前回の続きをお話をしていきます。前回の振り返り↓今回は、提供しているサービス「サイキック」のポイントをご紹介したいと思います。この記事は以下のタイプに当てはまる人におススメです。サイキックセッションを受ける前に-❶不思議な夢をよく見る・知らない人がたくさん登場する潜在意識は夢を共有します。その夢に登場する人は、過去世で縁のある人、メッセージ(象徴)、可視領域外で会っている人(認識していないだけ)、ご先祖。⇒ 縁はタペストリーのように編み込まれています。皆さんに必要な経験によって、夢の登場人物はつながっていたことがある人、或いはこれから引き寄せられる(テレビや雑誌なども含めた画像)情報です。デジャブ(既視感)でそのことに気づいたりします。・空を飛ぶ「高いところから飛びおりる」などもそうです。ただ、「落ちる」とのは違うのでお間違えなく。⇒ 他項目と同様に断定はできませんが、セッションのケースをまとめていると、この世に生を受ける時を再体験しているのかな、と。というのも、この夢を見る人は自分の過去世を知りたがる人が多いので、そうなのかもしれないなと思うんです。・大波に乗る小舟で大波にのまれそうになったり、私はサーフィンもしないのにサーファーのように乗りこなしていました。ここではあくまでも、乗りこなしている状態が鍵です。⇒ 良くも悪くも大きな変革だったり、その変革によって直感を磨くような出来事が起きやすいです。-❷柑橘系のフルーツをよく食べる私はオーラは食物も関係していると考えています。その中でも果物の、オーラに与える影響に注目してきました。・柑橘類は柑橘系には、橙色、黄色、緑色、赤色な
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.13 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.13 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。恋愛してみてもなんだかしっくりこない。結婚もなんだかどうにも上手くいかない。良い男なんてこの世にいないんじゃないか、と思うぐらいの目に遭って、普通なんて程遠い苦労をする事になって、普通に愛されて普通に幸せになって、普通に人生を送る、しかもなんとなく平穏に。そんな望みは叶うことはないまま今に至る。さて、宣言どおり恋愛や結婚話を語ろうと思ったのだが、これが結構記憶を辿るのに苦労した。人生の重きに「恋愛」がない事が原因だと思うのだが、忌々しいものだから封印しているのもあるのかもしれない。でも忌々しいかと思うと、全てが悪い事ではないし、それぞれに学びがあったのだから、そこまで忌々しいかと言うとちょっと分からない。人生、経験値が高い方が良いと思っているから、それすらも糧にしてきた。だから、全部を否定することは出来ないのだが、あくまで「事例」として書こうかと思っている。遠い砂漠にでも旅に出るような、そんなウキウキした気持ちでこれからの未来を楽しみに戻った横浜。父のところにお世話になりつつ、娘を民間の保育園に預け、仕事に出ることとなった。公営の保育園になかなか空きがなく、また、見学に行った保育園では、どうもお昼寝タイムだったようで薄暗く、そうして眠れない子供が職員室に行ったら、とてもドスの効いた声でその子を呼び捨てにし、「とっとと寝ろ」と恫喝していたのでそこはやめておく事にした。見
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なんだかメディアに出ている人たちのお陰でユタの名前もだいぶ知れ渡ったらしい【独り言】

なんだかメディアに出ている人たちのお陰でユタの名前もだいぶ知れ渡ったらしい【独り言】前に自己紹介として書いた記事、【かんなぎの本音】本当は霊能者って名乗りたくないんだけれども、どうしようもないから名乗っている【独り言】https://coconala.com/blogs/2854522/204577では、霊能者って名乗りたくないとウダウダと書いていた。で、以前はずっと「おばあがユタで」と言ってみたりもしていたのだが、毎回「ユタ?」と聞かれ続けていた。ユタって当たり前に知られていると思っていた私はこの現実に打ちのめされ(いや打ちのめされてはいないが)、つまり認知度が低いことを理解し、じゃあ一般的に知れ渡っている「霊能者」って名乗るしかないじゃんという結論に達していた。確かにユタ・ノロという存在はエリア限定のものだけど、なぜかみんな、エリア限定の「イタコ」は知っている。きっとこれは過去のメディアでイタコが散々取り上げられてきた名残なのだろうと思う。イタコは、日本の東北地方の北部で口寄せを行う巫女のことであり、巫の一種。シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職である。 南東北においては、旧仙台藩領域でオガミサマ、山形県でオナカマ、福島県でミコサマ、オガミヤと呼ばれる。福島県・山形県・茨城県ではワカサマとも呼ばれる。  -Wikipediaより引用-調べてみるといろいろと呼び方があるんだな。地域それぞれ、独特のシャーマニズムが存在する事、それを調べるのが大好きな私だが、イタコについてはそういえば「シャーマン」に属するという事しか知らなかった。しかもどちらかというと「降霊術」だと思っていたの
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【考察】神んちゅやノロは肉体的な環境試練を経験する人が多い

沖縄の霊能者には大きく分けて、ユタ・ノロ・神んちゅがいます。この違いについては、HPで考察を述べていますので、そちらをご参考いただければと思いますが、軽く引用しておきますね。・同じ霊能者でも「ユタ」は民間霊媒師、「ノロ」は公的な神事を司る巫女 ・ノロは「世襲制」、ユタは巫病を経て成ることが多いが、どちらも血筋や家系が重要 ・神んちゅは立ち位置が異なり、参拝するノロやユタを迎える側このうち、私は最後の「神んちゅ」に当たるわけですが、この場合はいわゆるユタ修行に見るような「巫病」はありません。霊能力が有ってまだ神事の道に進んでいない霊的ゆらぎの状態を、ユタ・ノロ・神んちゅすべてを総じて「カミングワァ」と言います。では、私のような人間はどのような道を歩むのか。今回はそんなことをお話してみたいと思います。父方の祖父母の出会い祖父は金市(かねいち)、祖母はキク。2人は台湾で出会いました。戦前です。家庭を作り、事業を始めました。第1子を百日咳で失うという悲しみを乗り越え、私の父となる第2子を授かりました。この時、お腹の子が元気に育つように台湾の道士に名づけをお願いしました。その際に、既に私と言う厄介な孫娘を授かる、という予言をされた言います。エブリスタで公開していた「オカルト徒然」をLINEVOOMでも動画にして投稿を始めています。そちらをご覧いただければと思います。母方の祖母たちそんな私を哀れんだのか、情け深く見守ったのは母方の曾祖母、近所のユタやノロでした。親戚筋に全島からお伺いを立てに来る高名なユタがいました。そのお婆さんは「寝ながらハンダン」する方で、並ぶほどのユタだった記憶は幼い
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久遠手帖、はじめます。

「オーラ|光と色彩のアセンションワールド」が連載中ですが、本日はあいさつ代わりのコラムとさせてください。ここ最近のお話なのですが、およそ7年の休業中であったにもかかわらず、「ようやく見つけました!」 「再開されたと知ってまたお願いしたいです!」と、以前対面セッションをご利用くださっていたお客様や、ご友人やお知り合いから私を知り、ネットで検索、近況を調べてくださっていたお客様よりお問い合わせいただくようになり、慌ててご報告、ご挨拶の場を設けさせていただきました。ご挨拶、そしてご報告以前「癒し庵たまゆら」にてオーラセッションをご利用いただいていたお客様、大変ご無沙汰しております。その節は、大変ご贔屓にしていただき誠にありがとうございました。また、ここ「ココナラ」から初めてお繋がりいただきましたお客様、はじめまして。システムに不慣れなためご面倒をおかけすることが度々ございますが、しっかり精進させていただきます。皆様、あらためまして今後とも宜しくお願い致します。▽報告①復活したのはいつ?昨年の11月頃でしたでしょうか(もう少し前かもしれません)。7年の休業を経て、ヒーラー復活への思いを我が娘に相談しました。そうしましたら「ココナラっていうサービスがあるよ」と教えてもらい、無事復活を果たしております。メニュー作りやレポートの準備などで、結局のところ本格的に稼働したのは今年の春先です。こちらでは、以前私が提供していたメールセッションを強化し、チャットスタイルで行っています。▽報告②休業中はどう過ごしていたのか-1.「癒し庵たまゆら」は閉店予てより計画していた・これまでに参拝した神社へのお礼
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あなたの魂は輪廻転生を繰り返してますか?

こんにちは、こんばんは。占師JILLです。さて、あなたはご自分の魂年齢を知っていますか?年齢と言っても生物学的な年齢はあまり重要ではありません^^何故なら例えあなたが20歳でも80歳だとしても、 輪廻転生を信じている私達の魂は既に何百年・何千年も【生まれ変わり】を繰り返している可能性があるからです^^もし、輪廻転生を信じている方。何度も繰り返している事を証明する5つの兆候をご紹介します。 【5つの兆候が当てはまるという方】感受性が強く円熟した魂の持ち主と言えるでしょう^^1、 自分の時間が必要 友達と合わせてお出かけ?旅行?正直…そんなことにはあまり興味がない。 それより1人でいる時間が癒しで絶対的に必要だと感じているから。最終的に孤立してしまうのでは?と、不安にも感じていない。それよりも自分の時間と空間が何よりも大切だと知っている。どちらかと言うと、自分より年上の友人が多いのではないでしょうか。 自分のことを理解してくれるような気がするから。2、とてもナイーブで繊細 この特徴は両刃の剣と言えます。 感受性の強い人繊細な人は、相手の気持ちが手に取るように分かります。それ故にあなたが行動をすると理解者として求められ依存されることもあるでしょう。感情的知能が高いあなたは人の話を聞くことも上手です。でも自分はさておき、相手を優先してしまうので空回りしてしまうこともしばしば…常にご自分主体を忘れずにしておきましょう。3、物欲がない、流行の物には目もくれない人が多いはず。自分の拘りが強いこともありますが、自分という個性をちゃんと知っている。また、流行によって幸せは手に入らないという事を
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霊界三河屋業務。あの世からのご要望を承っております。「花の要望」

うちにはよく亡くなられた方が来る。 何かしらの要望があって来るので、この事を私は「霊界三河屋業務」と呼んでいる。 ちなみにこの三河屋に来る皆様は玄関からは来ない。何故かベランダからやってくる。 うちのベランダは、霊界においての勝手口なのか。 「すみませんが」  「A氏に伝えてくれませんかね」 和装の品の良いおじい様が現れた。この方はA氏の祖父にあたる方だ。 「あれ、お久しぶりです。どうされましたか」 「凄くゴージャスな花を毎回飾ってくれるんだけど、私はあの花が苦手でね。シンプルな和の花が良いって伝えてくれないかな」 「承りました」 早速A氏に電話した。 「なんか今の花いやなんだって」 「え、そうなの?うーん、夏だし向日葵とかにしようかな。向日葵いいよね、日本の夏って感じで!!」・・・A氏の祖父、無言。そうじゃないオーラを醸し出して無言。「えーとね、向日葵は嫌いだって」 「そうなの?」 電話の向こうで誰かと話している声がする。「今聞いたら、生前から向日葵嫌いだったらしいわ。」 「そうなんだ。なんかいっそ野に生えている花でも良いから和の花が良いって言っているから、今度行くとき何となく上手い事宜しくね」「了解」・・・A氏の祖父は、向日葵が回避されて安堵の表情で消えた。 (そんなに供えてもらう花って気になるかなあ) (まあ、私もこだわりが強い方だから、あの世からアレコレ言うかもしれないなあ。) そんな事をぼんやり考えた。 来訪者はいつも突然だ。 その時の私は、誰も居ないのを良い事に、作業デスクの上に足を投げ出して紫煙をくゆらせて居た。 いや、大体がそういう人様に見られたくない状態の時に
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今年の悩みは今年のうちに

久しぶりにブログを更新しました。祈禱師JILLさて、2023年も駆け足で終わってしまう時期になりましたね。皆様。何を成し遂げ何をせずに過ごしましたか?私は今年の夏に【死ぬまでにやる事のひとつ】を成し遂げました^^そして感動のあまり【死ぬまでにやる事のひとつ】が増えてしまいました…笑***今年の悩みは今年のうちに解決しませんか?妊活でお悩みの方私自身も同じ時期を過ごして来たからこそ、あなた様のお悩みに寄り添い鑑定をさせていただきます。そして神様へのお手紙子宝祈願の絵馬奉納もさせていただいております。沖縄の人なら知っている【最強の子宝神社】***鑑定料が安価なのには理由があります。このチカラの還元といろんな方のお悩みの助けになりたいと考えております。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、私自身は占いを生業としている以上、必要以上の鑑定料金はいただいておりません。でも…気になるけど…と、考えている方はDMからご相談下さい。お待ちしております^^祈禱師 JILL 拝
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沖縄パワースポット 波の上宮

参道から神殿に向かうと明治天皇の銅像がある。こちらの神殿の裏手に祈りの場があり、久高島に向かって祈りをささげる行者さんが今でもおられます。私も一度参拝しましたが、一般は立ち入り禁止で、拝み3点セットを持っていなければ入れない場所です。久高島は男子禁制の島で有名で沖縄の神道に関わる神聖な地として有名です。斎場御嶽(せーふぁーうたき)も祈りの場ですが、久高島に向かって祈祷します。 沖縄神話は古事記と琉球神道と重なり、火の神が降り立った場所など大変興味深い聖地です。国際通りから徒歩でも行けますので是非立ち寄ってみてはいかがですか。
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ご挨拶

皆様 初めまして♡琉球ユタの比嘉レオナです。まずはこれまでの経緯をお話させていただこうかと思います。幼少期より不思議体験が多く変わった子だと思われぬように必死に隠す日々でした。数日以内に命を落としそうな人事故などの不幸に見舞われそうな人は見るだけで分りました。しかし”良くないことを口にすれば現実となる”そう言われるのが恐怖でした。もしかしたら私が災いなのかも?と私の人生を変えたのはとある方に出会ったからです。今までの心の縛りがフワッと解き放たれました。見えたり 聴こえたりすることをやっと受け入れてもらえたからです。自身の神棚を持ってからは今まで見えていた粗悪霊は見えなくなりこれまでの疑心暗鬼もなくなりました。悩みは誰にでもあります。苦労もそれぞれにあります。四柱推命も姓名判断も流派によっては結果は全く異なります。統計学はあくまでも目安に過ぎません。よく統計学と霊視の違いを聞かれますが統計学はこれまでの歴史からあなた自身を見ること霊視は天界から、神様からあなた自身を見ることだと神様から教わりました。今障害となっている本当の理由はあなた自身でなく先祖からの請求によるものかもしれません。
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